ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1940)

 休日の夜に問う狃臧満帆の人生を送っているか?

 転機に次ぐ転機に見舞われています。吉と出るか、凶と出るかはまだわかりません。

 意外に思う人もいるかもしれませんが、僕は会社の業務も真面目(鬼のように)にやっています。おかげである種の能力を積み重ねてきたという実感はあります。

 それで、相も変わらず、勉強して、大学に通って、文章を執筆して、ということも続けています。

 ただし、「だから私は順風満帆の人生を送っている。この調子で研鑽を続ければ大丈夫(?)だ」と思うほど、呑気ではありません。いやむしろ、「このままでいいのか」という不安や葛藤は、ますます強くなってきています。

 人生という名の大海には、正式な航路も羅針盤も決められてはいません。そして、どこかに目的地があるのかどうかも、僕にはよくわかりません。自分で「これだ」と定めたものを、生きがいなり目的地にするしかないのでしょうか。

 みなさんは、猝椹悗垢戮場所瓩鮖っているでしょうか。例えば、「自分らしく生きる」とか「人間として成長する」ということを目標にするのは大変、結構なことでしょう。

 では、今現在、一体、どれくらい自分らしく生きていて、日々の研鑽を積むにつれて、どれくらい自分らしさが増していると言えるのでしょう。

 正直、わからないのではないでしょうか。何も見えないトンネルの中では、前に進んでいるという実感はあっても、どれくらい進んだのか、あとどれくらいで出口に辿り着くのか、よくわからない。

 あるいは、夜明けはいつか来るとはわかっていても、それが具体的に何分後になるかは、よくわからない。

 転機に次ぐ転機の前に、積み重ねた研鑽が闇の中に消えていく。あるいは荒れる海に呑まれていく。だからといって、まだ振り返るべき時でもない。比喩として言えば、僕が感じる不安や葛藤というのは、そういう種類のものです。

 果たして、順風満帆な人生を送っている人など、存在するのでしょうか。他人からはそう見えても、本人にしてみたら必死に足掻いているだけだったりします。

 自分が自分であるための際限のない闘争。言うなれば、そんなものに駆り立てられています。

 追記. 休日の夜は、少し感傷的になりますね。もちろん普段は、そんなことも忘れて、ひたすら爐笋襪戮こと瓩留欧飽み込まれた日常を送っています。

山田宏哉記

 2008.12.21
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