ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1943)

 ビターテイストな生き方を/『一回性の人生』

 梁石日(著)『一回性の人生』(講談社,2004年)を読了しました。この人の世を生きていくということに対する、ここまで硬質の考察はなかなかお目にかかれるものではありません。

 <人間はいつかは労働と真剣に向き合わなければならない。働くということは人生そのものであり、人間はさまざまな職業で生きる糧を得ながら生涯を送る。人生の大部分が労働という時間に費やされ、人間はそれを避けることはできない。>(P161)

 あまりに直球の正論過ぎて、かえって虚を突かれてしまう。  そう、僕もまたご多分に漏れず、社会人になるまで労働というものと真剣に向き合って来なかったと思う。

 職業選択という試練から逃げるという道も理屈の上ではありえる。しかし、その代償はあまりに大きいと言わなければなりません。

 そして、もはや労働から逃げ切れなくなったとき、既に選択肢は消え失せていて、無謀で過酷な生き方を強いられることになる。

 <会社を倒産させて崖っぷちに立たされ、どうにもならなくなってタクシーの運転手になったくせに、それでも運転手など辞めようと何度か思った。だからといって他に食べていく方法は見当たらなかったから仕方なく続けていたが、内心では「俺という人間は本当はこんなものではない」という思いが常にあった>(P164)

 これまた突き刺さる言葉です。

 「俺という人間は本当はこんなものではない」という強烈な感情は、確実に僕の中にも存在しています。だからこそ、自分のことのように痛みを感じます。そして、僕もまた「俺はこのままで終わるのか?」という不安と常に隣り合わせです。

 思うに、人が生きるということは、闘いそのものです。「信じれば夢は叶う」ほど甘い世界ではない。むしろ、自分の限界を受容し、人生に対して過大な期待をしないことこそが、幸福の秘訣でしょう。

 ならば、その幸せとやらに背を向けるしかない。

 「俺という人間は、本当はこんなものなんだよ。ちっぽけで取るに足らない存在なんだよ」 そう受け入れることが大人になるということならば、人生の味はほろ苦さに満ちています。

 追記. そして、そんなドラマが1回性のものとして続いていく。

山田宏哉記

 2008.12.24
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