ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1950)

 逆襲するテクノロジー・オリエンテッド

 昨今は、爛謄ノロジー・オリエンテッド燹糞蚕兒峺)の評判が芳しくありません。

 むしろ「技術というのは、顧客のニーズを満たすとか、ユーザーにとって使いやすいとか、そういう目的を達成するための手段に過ぎない」という技術観の方が主流になりつつあります。

 あるいは、原子力や遺伝子に関する技術が、人間存在そのものに対する脅威になりつつあるという事情もあいまって、「暴走する科学技術の発展に対しては、高い倫理観で歯止めをかけなければならない」みたいな認識も一般的になっています。

 技術者にとっては、まさに冬の時代と言えるでしょう。顧客のニーズとか実用上の利益に資する技術テーマでなければ、研究開発できないというのであれば、「何がおもしろいのやら」です。

 発明などの歴史を振り返ると、人類は必要に先んじて技術を開発してきました。蒸気機関が発明された頃、何の役に立つのかよくわかってはいませんでした。飛行機の開発にしても、技術先行型で実用上の利益とはかけ離れていました。

 お金儲けのことしか考えていない人が、お金儲けができないように、猝鬚卜つ技術爐个りを追っていると、その猝鬚卜つ技術爐垢蘋犬濬个垢海箸できないという貧困にという逆説が存在します。

 技術者本人に対して、爐修譴何の役に立つのか?爐箸爐修竜蚕僂頬榲に危険はないのか?爐箸いμ笋いけをするのは、本来、間違っています。そんなことでは、技術開発が萎縮してしまいます。

 教養人に向かって、「プラトンやソクラテスを勉強して、何の役に立つのか?」と問う一般大衆など、一蹴すればいいのと同じことです(ついエリート意識がほとばしりました)。

 技術者は徹底的にテクノロジー・オリエンテッドであるべきなのです。既存のニーズに従うだけでは、革新的なものは生まれてきません。技術の意味づけや価値付けは、むしろ、私たちひとりひとりが考えるべきことです。

 20年前、インターネットや携帯電話のような技術を必要だと考えていた一般大衆が果たしてどれだけいたでしょうか。その一般大衆が、今では「ケータイなしでは生きられない」などとほざいています。

 一般大衆は、未来を予見して、自ら仕掛けていくような知性とメンタリティを持ち合わせていません。情勢に流され、権威に追従するのが、普通の庶民です。技術者が、そんな一般人のニーズに振り回されるのは、愚の骨頂です。

 僕は、コンピュータのことも熱心に勉強していますが、会社の業務や自分のウェブサイト製作に必要とは思われないレベルのことまで、勉強することにしています。案外、そういうことに限って、のちのち自分の能力が上がったときに、役に立っているものなのです。

 何はともあれ、小市民に甘んじる気がないのなら、是非ともテクノロジー・オリエンテッドであるべきではないかと僕は思います。  

 追記. 技術というのは、手段ではなく、それ自体ワクワクするような対象です。そんな技術観が今、忘れられかけているのではないでしょうか。

山田宏哉記

 2008.12.28
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