ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2312)

 【知のOS】脱リアルタイム

 リアルタイムで享受しなければならない情報というのは、実はそれほど多くありません。意外に思う人が多いかもしれませんが、僕は「最新ニュース」をチェックすることはほとんどありません。

 マクロ情報は、必要に応じてデータベースからバックナンバーを引き出して、都合のよい時に利用します。

 思うに、リアルタイムでのマスコミ情報が必要なのは、災害や交通機関の大幅なトラブルなど、ごく限られた状況です。

 例えば、自分が震災の当事者であったなら、常にラジオニュースに聞き耳を立て、対策を考えることも必要でしょう。

 しかし、どこかの街で起きた殺人事件や、政治家のスキャンダルや、各種統計の公式発表などは、本当にリアルタイムで追わなければならない情報なのでしょうか。僕はそうは思わない。

 それでもつい、人間がリアルタイムの情報を追ってしまうのは、おそらく動物的な本能の名残です。確かに「あの岩の向こうに餌がある」といった情報は、速報性が命です。しかし、現代人はそういう世界で生きているわけではありません。

 何より、リアルタイムの情報は精度が荒く錯綜しているので、事態を正確に把握しようと思ったら、手間と時間がかかります。

 よく、地震情報や台風情報や選挙速報のTVを延々と見続ける人がいますが、失礼ながら「きっと、暇なのだろうなぁ」と思います。また、そういう人に限って、本当に把握しておくべき事項を押さえていないようにみえます。

 リアルタイムというのは、拘束と表裏一体です。TVにせよ、ラジオにせよ、「生放送」というのは、ほとんど意味のない自己満足です。ウェブの最新ニュースも、ほとんどがどうでもいいことです。

 いくら労働貧民や院卒フリーターから、「最新ニュースをチェックしないとは、社会への問題意識が足りない」と非難されようと、少々のことでは、この考えは変わりません。

   追記. ちなみに僕は、実務では、効率を重視して事務連絡はほとんど書面(メールか紙)で行います。相手の都合がよいときに参照すれば構わないもので、相手の時間を拘束するのは失礼だと考えています。

山田宏哉記
 
 2009.10.7
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