ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2322)

 修士卒のための仕事術

 本日、大学院の研究会で英語翻訳の突合せをしていきました。当然ながら、周りにいるのは平均的な成人男女よりも頭のいい方になります。

 個人的には社会人になっても、こういう時間を持つことはとても貴重なことだと思います。

 今の若くて頭のいい人は、気合と根性の泥臭いサラリーマン・スタイルに馴染めない場合が少なくないと思います。僕は、それはそれでいいと思います。

 今、ビジネスの世界でも地殻変動が起こっていて、修士以上の高学歴者が活躍する余地が以前よりも遥かに広がっています。

 旧来の日本型サラリーマンは、正直、あまり頭がよくなくても務まりました。飲み会やカラオケの席で「あぅあぅあぅ」と叫んでいれば、先輩や同僚たちから可愛がられて、何とか生きていけたのです。

 僕個人は、こういう雰囲気があまり好きではない。ただ、会社生活では協調性が大切ですから、無用に場の空気を乱すような、野暮なことは言いません。

 ただ確かなことは、今後は、少数精鋭の頭のいい人が必要とされてくるということです。確かに、高度成長期の頃は、頭が空っぽの体育会系の卒業生が、兵隊として大量に必要とされもしました。

 しかし今は、情報化とアウトソーシングが進んで、正社員として採用するのは、幹部候補生だけという流れに傾きつつあります。

 もはや、企業にとっても、従業員数が多いということは、強みというより、重荷になってきつつあります。  

 このような潮流は、修士卒の人間にとって、決して悪いものではありません。

 こう言っては何ですが、学部卒というのは、やはり大学で何も勉強していないに等しいわけです。ほとんどの人は、単位を取ることに汲々としていて、本格的な知的訓練を受けていません。  

 その点、大学院卒の人間であれば、曲がりなりにも論文などを書いたり、研究発表をしているわけですから、基礎的な知的能力はあると考えられます。

 思うに、これからのビジネス社会で活躍するためには、院卒レベルの知的能力は必要です。実社会の情報戦を勝ち抜くということは、想像以上にシビアなことです。

 中小企業の職人気質の社長がいくら「学校の勉強なんて役に立たないべ」と言おうとも、むしろ「そんな認識だから、所詮は中小企業の社長どまりの器なのだ」と冷酷に判定すべきなのではないでしょうか。

   追記. 何という傲慢。でも、それでこそインテリ。

山田宏哉記
 
 2009.10.17
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