ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2329)

 掃除屋の仲間たちよ

    ほんの2年前まで、僕は掃除屋として生計を立てていました。

 厳密には、2004年の12月から2008年の3月までやっています。朝7時から10時まで、週6日で新宿の百貨店のエスカレーターなどの掃除をしていました。

 当時、口に出しては言わなかったけれども、誰とも口を利かずに仕事ができることは、僕にとって気楽でした。その代わり、自分は底辺で働いているという自嘲気味な認識も持っていました。

 仲間は、20代から30代の、若い人たちが多かった。ただし、現役の学生は僕だけでした。振り返れば、いわば"訳あり"の人たちばかりでした。

 司法書士を目指すと言いながら毎年不合格になったり、ミュージシャンを目指すということで3つのバイトを掛け持ちしていたり、延々と趣味のようにハローワークに通い続けたりと、この国で"正規の人生"とされる生き方からは、外れていました。

 僕自身も、マスコミ関係の仕事にありつきたくて、吹き溜まりで虎視眈々と勝機をうかがっていました。ははは、それでも野心と向上心だけは一人前だったな。

 掃除屋の仲間たちの顔を思い出すと、低所得者を見下すような感情に、自制がかかります。たとえ、自業自得としか言いようがなくても、正規雇用にありつけなくても、何とか生き延びて欲しいと思う。

 生涯の一時期を共に働いて過ごした仲間たちです。たとえ、彼らの一人でも、将来に絶望して自殺でもしたら、僕はひどく落ち込むと思います。

 仮に、一緒に日雇い労働をやっていた人々も含めるならば、彼らのうちのいくらかは、もう生きてはいないでしょう。そういう環境でした。

 例えば、移転や転居の際、大型の什器や家具と共に階段から転落すれば、間違いなく致命傷になります。目の前で倒壊したパネルが壁を突き破って、間一髪で命拾いしたこともありました。

 また、そういう危険な作業は、日雇い労働者がやることになっていました。「○○がビルの窓拭きで転落して死んだ」という話を耳にしたこともあります。

 そして、港湾労働者のエリック・ホッファーが、僕の研究対象であり、また敬愛する人物でした。

 仕事に関して、僕は傲慢になり過ぎたと思う。お金も稼ぎすぎかもしれない。少なくとも、今の僕は、かつての掃除屋の仲間たちの輪に入っていくことはできない。

 「偉くなったな」と持ち上げられても、もう彼らが心を開いてくれることはないだろう、と思う。合理的に生きているつもりでも、そう思うと、なぜか一抹の寂しさを覚えるものです。  

   追記.ははは、人生の味は苦い。「それでいい」のか、「それがいい」のか。

山田宏哉記
 
 2009.10.18
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