ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2330)

 商売っ気を出して、"イタさ"を消す

 世の中には、お金のためにやっていることではなくても、「お金のためにやっている」と言った方が、都合がいいことがあります。表現の世界は、特にそうです。

 例えば、"生きがい"とか、"自己実現"のために文章を書くのは、やはり"イタい"のです。

 本人は、至って真面目に「金のためではでなく、魂の声に従って表現しているのだ」という思いを抱いているのでしょうが、そういう内面を含めて、「あいたたたたた」という感じがします。

 不思議なことに、同じ文章であっても、「カネのために(仕方なく)書いてます」と言うと、とたんにクールな書き手になってしまいます。

 1円にもならないのに、1日3本のエッセイを書いたら、「どこの暇人だよ」とか「自意識過剰の奇人だなぁ」と思われるのが落ちです。決して「彼は世の中に貢献している」とは思われません。

 ところが、この人物が商売っ気を出して、"カネのために"1日3本のエッセイを書くとしたら、とたんに「彼は、一生懸命、仕事をしている。偉いなぁ」という評価になります。この理不尽さが、人間心理の面白いところです。

 この辺りに、善意のボランティア活動の悲劇があります。

 1円にもならないのに、反戦運動や反貧困活動をして世界中を飛び回ったりしたら、ほとんどの国民からは「これだから、子供は困る」とか「他人のことより自分のことを心配したらどうなんだ」などと、低い評価しか受けないでしょう。

 もちろん、面と向かっては「立派なことをされていますね」と言いながら、本音の部分で値踏みしているわけです。

 若者は、つい自分の熱意をアピールするために、「原稿料はなしで結構です」とか「タダでも働きます」と言ってしまいます。これは、悲壮感が漂っていて、正直イタい。

 端的に言うと、これは自分を安売りするということで、老獪な実務家から足元を見られることつながります。

 実際は、「お金のためにやっている」のに「世のため、人のため」という人は山ほどいます。

 ところは、本心では「世のため、人のため」にやっているのに、「お金のためにやっている」とブラフをかます人はほとんどいません。他人からよい印象を持たれたいからでしょう。

 声を大にして言う。「だからこそ、やる価値がある」。

 さて、僕は当然、お金を稼ぐためにウェブサイトを運営しています。実際、それなりの広告収入を得ていますしね。

 どう? こう書くと、自意識過剰なイタさが、一瞬、隠れてしまうでしょう。

   追記.お金のためじゃなくても、「お金のためだ」と言い切ってしまえば、案外、新たなる地平が開けてきます。

山田宏哉記
 
 2009.10.19
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