ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2337)

 ネットカフェ遊民の思い出

 意外に思う人が多いかもしれませんが、僕は長らく、″外″でウェブ製作をしていきました。

 学生時代は、高田馬場の自部屋にネットを引いていませんでした。引いたとしても、ダイヤルアップ接続しかできないような環境でした。

 そんな時、専らネットカフェと大学のPCルームで、原稿を書いてウェブを更新していました。

 掃除屋の仕事を終えた後、まずはネットカフェに行って、それからハイジアビルにある東急オアシスに行くのが、僕の定番コースでした。

 よく行ったのは、新宿・歌舞伎町のネットカフェです。10分\40という全国でも類を見ない料金体系のネットカフェがありました。

 ここでよく、ウェブ製作をしたり、MP3のファイルをダウンロードしたりしていました。

 ただし、歌舞伎町のネットカフェは、タバコの煙が充満して、ギスギスした吹き溜まりのような雰囲気が漂っていました。他の客の風貌を見ても、あまりまっとうな人はいなかったと記憶しています。

 もっとも、それが歌舞伎町という場所だといえば、それまでです。

 他にも、高田馬場や池袋など、僕の行動半径に含まれる場所には、それぞれお気に入りのネットカフェがあって、そこでよく原稿を書いていました。

 ですので、毎月のネットカフェ代は馬鹿になりませんでしたが、不思議とここを削ろうとは思いませんでした。

 人生のある時期を通して、僕はネットカフェを通して、ウェブや社会と接続していました。

 また日々、テキストファイルを編集するだけでウェブを更新する必要があったので、フレーム分割という、現在のような基本設計が自然と生まれました。「ネットカフェからでも更新できる」ということが、僕にとって、とても重要なことでした。

 ただし、数年前の原稿を読み返しても、こういう本当のインフラ環境は書いていないはずです。これを書くと、「言い訳」になってしまうからです。

 社会人になってからも、仕事を終えた直後に、ネットカフェで原稿を書くことがよくありました。家に帰ればウェブ接続できても、ネットカフェ特有の質感が、合っていたのかもしれません。

   追記.以上、失われてから気付くネットカフェ遊民の思い出でした。

山田宏哉記
 
 2009.10.22
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