ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2345)

 求人広告から世界が見えるか?

 最近、広告というものへの興味が芽生えています。広告がある種の世相を反映していることは、おそらく間違いありません。

 僕が以前から割と眼を通しているのが、求人広告です。求人広告を見ると、おおよそ世の中がどう動いているか、つかむことができます。

 機械あるいはコンピュータにはできない仕事は、あまり景気に関係なく、求人が出ています。ただしそれは大抵、「あまりに簡単であるが故に」機械にはできない仕事です。

 フランチャイズ・チェーン店の多くでは、社員は店長1人で、他はアルバイトという形態が一般的です。しかし、だからと言って、アルバイト店員がやっていることを機械あるいはコンピュータにやらせることができるかと言ったら、当面の間は無理でしょう。

 あるいは、メール全盛のこの時代に、どうしてもなるべく早く、紙の書類を送らなければならないとき、僕たちはバイク便を利用したりします。しかし、バイク便のライダーが将来性の高い職業とは、考えにくいものです。

 タクシー・ドライバーになるのが、他業種・他職種からはじき出された人たちである場合が多いことは、割と知られています。タクシー・ドライバーも、あまり知的に難しい作業をしているわけではありません。

 単純な話、今、社会や企業が求めているのは、「時給\1,000で肉体労働をする人間」だと言えます。何度か書いていますが、「時給\1,000、月収16万円、年収196万円」は、代替のきく労働者のワールド・スタンダード価格です。

 ですので、「選ばなければ仕事はある」というのは、正にその通りです。

 しかし、「時給\1,000の肉体労働」は、技術的進展によって、一気に淘汰される危険性も孕んでいます。

 コンビニエンスストアやファーストフード店は、将来、全自動の無人店舗になる可能性があります。

 昔は、駅の改札に人がいて、いちいち切符を切っていました。しかし、自動改札になって、「切符切り」という仕事はなくなりました。

 同様のことが、色々な分野で起きるでしょう。そのとき、時給\1,000の肉体労働者は失職し、また職を転々とすることになるのでしょう。

 では、彼らはどこへ行くのか。これまた、求人広告を見れば、一発でわかることでしょう。

   追記.そう、いざとなればいつだって時給\1,000の肉体労働ならあります。

山田宏哉記
 
 2009.10.24
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