ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2350)

 【知のOS】メタ・レベルの思考と観察

 2001年の"9.11テロ"の時、噴煙を上げるワールドトレードセンターを目撃しました。そんな中、唖然とした表情でビルを見上げる人々の写真を撮ったフォトグラファーがいました。

 ここにあるのは、メタ・レベルを上げた視点です。

 この写真は、雑誌の表紙になったと記憶しています。普通なら、倒壊するビルそのものを写真に収めるところです。しかし、この場面で茫然自失に陥った人々にカメラを向ける、ということは誰にでもできることではありません。

 イベントが起きたときに、当事者としてその渦中に飛び込むというのは、ひとつの選択です。メタ・レベルを1段上げれば、そのイベントを外側から観察するという立場になります。

 さらにもう1段、メタ・レベルを上げると「人々はそのイベントをどのように見ているか」という視点になります。

 頭のいい人は、ほぼ例外なく"メタ・レベルの思考"が得意です。おそらく、研究者には必須の能力でしょう。自分を客観的に観察できる人は、それだけで圧倒的に優位な立場にあります。

 ただし、同時に忘れてはいけないのは、僕たちは否応なく、内側の当事者として生きているという事実です。

 状況を突き放して見る思考力と観察力は、大変に価値あるものですが、当事者として人生にコミットメントすることを忘れると、いずれ決定的な破綻をきたします。

 その意味で、処世術として言っておくと「人間観察」という言葉は、使わない方がいい。

 それは暗に、「世の中に溶け込まない知的に優位な自分」を主張することに他ならないからです。俗に言う「上から目線」です。

 「能ある鷹は爪を隠す」という格言がありますが、確かに"メタ・レベルの思考と観察"は、さりげなく暗器(隠し武器)として使った方がいいと思います。

 基本は、自分にフルコミットメントすることです。ただし、頭がいい人なら、そんな自分をメタ・レベルの視点から客観視することによって、さらに優位に物事を展開できるようになるでしょう。

   追記.以上、頭のいい人に対して、一言言っておきたいことでした。

山田宏哉記
 
 2009.10.29
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