ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2351)

 タクシー・ドライバーに未来はあるか

 夜の大森駅周辺にはタクシーが溢れていて、一種の風紀問題になっています。客がタクシーを待つのではなく、タクシーが行列をなして客を待っています。

 他人事ながら、色々と考えさせられます。

 あえて当たり障りのある記述をしますが、現状ではタクシー・ドライバーは敗残色の強い職業のひとつです。

 銀行なら、なんだかんだ理由をつけて、お金を貸さなかったりするでしょう。普通の女性も恋人の職業がタクシー・ドライバーだったら、ちょっと気後れするのではないでしょうか。

 このようなニュアンスを踏まえなければ、マーティン・スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー』の理解は不可能です。

 それは現代日本においても、やはり例外ではありません。タクシー・ドライバーになるのは、新卒で第一希望の職種としてなった人より、「理由あり」で流れてきた人の方が多いことにも表れています。

 僕の観察と分析では、タクシーというビジネス・モデルは、いくつかの面で決定的な限界を抱えています。

 まず、過去の仕事の蓄積が商品にならないということ。作家であれば、以前書いて出版した書籍であっても、売れれば収入につながります。文筆の世界では、新しい読者がバックナンバーを購入するということは日常茶飯事です。

 僕自身、バックナンバーの蓄積と公開に関しては、徹底的にこだわっています。

 民間企業のホワイトカラーであっても、書類のテンプレートを作って、日付だけ変えて使いまわすということはできるでしょう。

 しかし、タクシー・ドライバーは、今日、あるお客をA地点からB地点に運んだら、その代金をもらって、それっきりです。つまり、昨日の仕事の使い回しができない。

 「昨日、田中さんを仙台まで運びました」と言ってお金を払ってくれるお客は存在しません。

 次に、タクシーは「仕方なく」乗るものである場合が多い点です。普通の庶民がタクシーを利用するのは、終電を逃したときとか、公共交通機関がない場合です。多くの人は、「できれば、お金がもったいないから乗りたくない」と思っている。

 お客さんがお金を払うときに、「あまりよい気持ちがしない」というのは、そもそもビジネス・モデルとして致命的です。

 おそらく、首都圏でのタクシーの適正価格は、電車の2倍程度でしょう。これなら、気持ちよくお金を払えます。

 ドライバーに人件費がかかっているのはわかる。

 しかし、終電を逃して仕方なくタクシーで帰宅したら、1万円以上かかるというのでは、誰でもボッタクリだと思うのではないでしょうか。新入社員であれば、日給が吹っ飛びます。

 最後に、同業者間の差別化が困難であることです。お客としては、A地点からB地点に運んでもらえればいいのであって、その目的が達成される限り、新米のドライバーであろうが、ベテラン・ドライバーであろうが、大して関係ありません。

 ドライバーが代替可能である上に、他の業種からリストラされた人が次々に流れ込んでくるようでは、タクシー・ドライバーとしてお金持ちになるのは、ほぼ不可能であると言えます。

 ただし、仮に以上のような課題が克服されたならば、案外、タクシーというビジネス・モデルも有望になるかもしれません。

   追記. 以上、"夜の溝鼠"からの歪んだ応援歌でした。

山田宏哉記
 
 2009.10.31
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ