ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2353)

 【武蔵美探訪(2)】"平凡コンプレックス"

 「平凡コンプレックス」という用語の是非はさておき、この用語を聞いた時、果たして何を思い浮かべるでしょうか。

 平凡であることのコンプレックス(優越感or劣等感)なのか。あるいは平凡ではないことのコンプレックス(優越感or劣等感)なのか。

 僕は最初、主催者側が意図的に4種類の解釈が可能な設定にしたのかと思ったのですが、どうやら「平凡であることの劣等感」のことのようでした。

 事務局の方は次のように書いていました。

<なぜこんなテーマが決まったのかというと、美大生ほど個性を気にしてる奴らはいないと云う事が根本にあります。入学前は、自分の個性に自信満々だが、学生生活はじめて半年後わかるのは、先輩や同級生と比べての没個性。それが、美大生のコンプレックスになってたりします。まさに平凡コンプレックスと言う事なのです。>

 言われてみると、僕にも若干、身に覚えがある問題意識のような気がします。言わば"思春期の病"として、「自分の個性を際立たせたい」という欲求は、あったかもしれません。

 自分で言うのも何ですが、僕は大学入学時から、既に同級生よりも圧倒的に知識量が多かったと記憶しています。今だから書きますが、周囲が馬鹿ばかりに見えました。

 ただ、悲劇だったのは、しばらくの間、それを認めてくれる人がいなかったことです。だから、知的な欲求不満がたまっていました。だから、この問題意識には、共感できる。

 大人の視点からすると、美大生にとっての核心は、本当は"個性"ではなく、"承認"なのだということが透けて見えます。

 つまり、「(自分の意識の上では)既に一端のアーティストなのに、社会的にはまだ何者でもない」というギャップに焦りや苛立ちを覚えるのだと思います。

 それでもさすがに「"評価"や"承認"を気にしています」とは言いづらいから、"個性"と言い換えているだけだと、僕には思えます。

 ノーバディ・コンプレックス。いまだ社会の中に確固とした足場を築いていないことへの不安と劣等感。本当は、こういうことでしょう。

 僕もまだ、偉そうに何かを助言できる立場にはありません。今は、自分の食い扶持を稼いで、ささやかなウェブサイトを運営するので精一杯です。「不甲斐ない」と言われれば、その通りです。

 でも、例えば文章を書くという面において、自分の原稿を熱心に読んでくれる人が100人もいれば、影響力は不十分でも、それほど「社会から阻害されている」などとは感じないものです。

 僕自身、大学入学時のような承認への欲求不満(ノーバディ・コンプレックス)はなくなりました。

 だから、美大生にせよ、地道に研鑽を積んで実力をつけ、作品を発表(公表)し続ければ、お金の話は別として、ノーバディ・コンプレックスを乗り越えること自体は、おそらくそれほど難しいことではないでしょう。

   追記.主催者側の名誉のために、念のため言っておくと、トーク・イベントとしては大成功だったと思います。

山田宏哉記
 
 2009.11.1
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