ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2354)

 【武蔵美探方(3)】ウェブ時代の個性、ウェブ以前の個性

 討議"平凡コンプレックス"で、ウェブに言及されることが多く、質疑応答でも「ウェブ以前と以後では、個性というものは変わったか」という趣旨の質問がでました。

 独断と偏見で、この質問には正面から答えたい。

 まず押さえておきたいのは、僕たちは身の回りにちょっとくらい変わった人がいても、あまり驚かなくなったということです。

 情報が行き渡っていなかった頃には、「変わった人」と呼ばれていたような人も、ウェブで情報がフラット化したことによって、「普通の人」として扱われるようになりました。

 例えば、病気や癖や趣味や嗜好において、自分や周囲の人が特殊だと思っても、ウェブで探せば、大抵のことには"同士"がいます。

 あるいは、奇抜な意見やアイディアを思いついたつもりでも、ウェブで探せば、大抵のことは、もう既に他の誰かが言っていたりします。

 あまり愉快な話ではないでしょうが、あなたがどんなに「自分は変わっている。個性的だ」と思っても、あなたにそっくりな人は、たぶん日本だけで千人単位とかで存在するのです。そして、ウェブによって、それが誰の眼にも明らかになってしまった。

 ウェブ以前は、"井の中の蛙"として、"個性的な人"という地位を得られていた人も、"パーソナリティのグローバル競争"の中で、"普通の人"に分類されるようになりました。

 もう「学校で一番」とか「学校で注目されている」といったレベルでは、何の自慢にもならないでしょう。それは、ごく普通のことなのです。

 そもそも、「目立ちたい」「個性的でありたい」「有名になりたい」「一目置かれたい」等の発想そのものが、たまらなく凡庸です。

 ではどうすればいいか。別に、個性なんて気にしなければいいのではないでしょうか。一昔前の不良じゃあるまいし、意味もなく目立つ必要などありません。

 むしろ集中するべきは、継続的なパフォーマンスの蓄積です。パフォーマンスの継続こそが、平凡から非凡へ至る一番の近道だと、僕は考えています。

 僕は自分の嗜好や性格や感性が特に変わっているとは思わない。残念ながら、誇るべき個性とやらも持ち合わせていません。普通です、普通(たぶん)。

 それでも、経済的に自立して、日々の生活の中で、表現欲や承認欲求を満たすことくらいはできるのですから、個性なんてあえて追い求めるものでもないでしょう。

 そして僕は、ウェブ以前には、このことがわからなかった。ようやく気付いたのは、ウェブ以後のことです。

   追記.目立とうとするな。嫌々ながら、目立ってしまえ。

山田宏哉記
 
 2009.11.2
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