ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2365)

 『クーリエ・ジャポン』で国際教養人?

 今、図書館から雑誌『クーリエ・ジャポン』(講談社)のバックナンバーを借りてきて、まとめて読んでいます。世界中のメディアに掲載された記事を日本語に翻訳して掲載するというシンプルな編集になっています。

 想像するに、『クーリエ・ジャポン』の読者層は、かなり知的レベルが高いと思います。『日経ビジネス』や『ニューズウィーク日本版』あたりの読者層とかなり被っているのではないでしょうか。

 「海外の報道情報を仕入れたいけれども、英語で大量に情報摂取するのは厳しい」という潜在ニーズをうまく捉えていると思います。

 僕自身まさにその口でして、「海外の高級紙(誌)を読まなくては」という意識はありながらも、時間と労力が有限である以上、どうしてもカバーできずにいました。

 日本という国で生まれ育ち、老いて死んでいく中で(すごい人生の要約だなぁ)、国外のことに目を配る必要性は必ずしも高くありません。

 もちろん、建前としては「これからはグローバル化の時代だ」とか「英語を話せなければ生き残れない」みたいなことが声高に言われます。しかし、本気で信じている日本人が果たしてどれくらいいるでしょうか。

 だからこそ、例えばユダヤ教でいうヤハウェと、キリスト教でいうゴッドと、イスラム教でいうアッラーが同一の存在を差しているといった教養以前の基本的な常識を欠いていても、平気でいられるのです。

 「そんなことに興味がない」という人を批判するつもりはありません。異国の神の来歴など、別に知らなくても生きていけることです。

 おそらく、日本のビジネスパーソンで、「海外の報道が気になって仕方がない」という人は、最前線では仕事をしていない人です。

 ハードワーカーにとっては、国内の経済ニュースすらフォローする余裕がありません。仕事をしている振りをして、ネットサーフィンをしている暇人には、想像もできないようなタフな世界が存在するのです。

 それでも、他人様に向かって、曲がりなりにも"国際化"や"異文化交流"の推進を訴えるならば、それなりの前提となる教養を持っていることは、大切なことでしょう。

   追記.僕は今、猛烈に教養に飢えています。

山田宏哉記
 
 2009.11.10
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