ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2367)

 鳥に問う「なぜ、飛べるのか」と

 言語で説明できるということと、行動としてできるということは、同じではありません。ただし、これを「全く別物」と言うと、正確性を欠くことになります。

 ザ・ピロウズの山中さわおさんが、「どうすればいい作詞や作曲ができるのか?」という質問には答えづらい趣旨で、「鳥に『なぜ、飛べるのか』、魚に『なぜ、泳げるのか』と聞くようなもの」だという比喩を用いていました。

 できる人には当たり前にできることでも、できない人にとってはとてつもなく高いハードルだと言うことがよくあります。

 自転車に乗れる人にとっては自転車に乗ることは何でもありませんが、乗れない人にとっては気合を入れたからといって乗れるものではありません。

 自転車に乗る秘訣は、決して「ペダルを漕ぐことによって推進力を出し、不断にハンドルで重心のバランスを取ること」ではありません。

 実際には、そういうことをしていますが、生活実感に即して言えば、「乗れるものは、乗れるのだ」だとしか言いようがありません。

 今の時代、「ペダルを漕ぐことによって…」という類の"自転車に乗る秘訣"を"ノウハウ"と称して商品するということが、随分と流行っているように思います。

 僕自身、これに類することをやっているとも言えます。

 ただ、正直な話をすると、時間管理にせよ、仕事術にせよ、結局は「できる人はできる」し、「できない人はできない」のです。人が鳥に「なぜ、飛べるのか」と問うても、参考になるような答えを期待することはできません。

 人それぞれ、適性は異なります。努力してできることであれば「適性がある」と言えるし、努力してもできなければ「適正がない」と言えます。魚は空を飛ぶことはできないけれども、海を泳ぐことはできます。

 元々自分に向かないことで、認められたり、評価を得ようと思うと、本当に大変です。

 だから、対社会戦略としては、なるべく努力しなくても他人よりも優れている長所で勝負した方が賢明です。

 ははは。これこそまさに、言うだけ野暮なノウハウなのですが。
 
 追記.いやはや、さすがというか、素敵な比喩です。

山田宏哉記
 
 2009.11.12
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