ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2373)

 敗者のための表現論  

 昨日、今日と風邪を引いておりまして(昨日が37.6℃、今日が37.2℃)、宮仕えも2連休にしました。  

 アルバイトをしていた頃の習性で、僕には「2日連続で欠勤するとクビになる」という思い込みがあります。経験や見聞と照らして、これはあながち的外れな認識ではないので、暗黙のルールとして覚えておいた方が得策でしょう。  

 ですので僕も、さすがに欠勤2日目は一旦出勤して、1時間くらいは仕事をしてきました。  

 頭痛がひどく、喉が腫れていて、身体もフラフラだったので、昨日はほとんど24時間睡眠でした。  

 1日中寝ることによって、何か「光」や「答え」のようなものが見えたらよかったのですが、残念ながらそれどころではありませんでした。  

 あるいは、一気に原稿を書き溜めるチャンスだったのですが、それもできませんでした。  

 それでも今、ツタヤで、ザ・ピロウズと伴都美子さんのCDを計4枚借りてきて、ipodに入れてゆったりと聴いていて、「やっぱり、音楽っていいなぁ」としみじみと感じています。  

 不思議なもので、音楽の好みというものは、10代の後半からほとんど変わっていません。食べ物の好みや、物事の考え方は随分と変わっているというのに。

 ピロウズも伴都美子(Do As Infinity)も、その存在を知ったのは受験時代だったけれども、当時からリズムと旋律と詞が、生理的に合っていると感じていました。  

 そして、ふと思う。  

 今は、政治経済的な成功をモデルとする生き方が支配的です。権威ある賞をもらったとか、年収がいくらであるとか、大人になった今では「そんなの意味ないじゃん」と言えなくなってきている。  

 それでも、この社会において、たとえ権力闘争に敗れて落ちぶれても、音楽と書物があれば、不思議と人間としての自尊心を保っていけると信じています。  

 この確信がなければ、一体誰が、表現などいうものを志向するでしょうか。もし、表現者としての志というものがあるなら、自分が金持ちになるとか、有名になるとかでは、あまりに卑小でしょう。  

 回転する時代の中で、否応なしに押し潰されていく人々を掬い取ってみせる。  

 誰に頼まれたわけでもないけど、たぶんこれが僕に課せられた使命です。  

   追記. 迷ったときには、また血肉と化した書物と音楽に相談してみようか。

山田宏哉記
 
 2009.11.16
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