ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2374)

 【敗北人生論】よき敗者であるために  

 誰しも永遠に勝ち続けることはできません。人として生きる限り、いずれは死という決定的敗北が訪れます。

 もし、勝つことだけに意味があるのなら、高校甲子園に出場した学校のうち、優勝校以外の野球部員は「青春を無駄に過ごした」ということになります。

 高校野球そのものの是非はさておき、もし優勝以外に価値を認めないのなら、それは教育とは呼べないでしょう。

 勝負事である限り、負ければ悔しい。それは当たり前のことです。

 それでも、自らの敗北を認め、勝者の健闘を称え、潔く身を引くことができたなら、よき敗者としての誇りを保つことができます。

 軽蔑すべきは、敗者が「ベストコンディションではなかった」とか「審判が悪かった」とか言い立てることです。それを含めての勝負です。

 これでは周囲に不快感を与えるだけでなく、当人が一番惨めでしょう。

 僕自身も随分、志半ばで挫折したり、大切な場面で負けを喫してきたように思います。

 内定を取り消されたり、濡れ衣を着せられて苦境に立ったこともありました。「諦める」ことも必要な年頃になってきました。

 それでも、不思議と言い訳はしなかったと思う。すべて、自業自得。そして、だからこそ成長できた。

 僕も人だから、高額報酬のビジネスパーソンや、好きなことを仕事にして社会的に評価されている人を、羨ましいと思う。率直に書けば、死ぬほど羨ましいよ。

 でも、僕は負けた。全存在を賭けた能力戦で、彼らに負けました。

 人として、男として、彼らは賞賛すべき存在です。この一点だけは、誤魔化すわけにはいかない。

 だから、今の僕にできることは、「よき敗者」であることだけです。

 でも、負けることは恥ではない。誰しもいつかは負けるものです。敗北を認められないことこそ、人として恥ずべきことです。

 負け犬と呼ばれればその通り。だけど、卑屈にはならないよ。

 時に飼い主にも噛みつくグッド・ルーザーです。  

   追記.「敗北人生論」は、いきなりシリーズ化決定です。

山田宏哉記
 
 2009.11.17
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