ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2376)

 【実務家の批評】偽りのスタートライン  

 例えば、入社2年目で月収30万円、年間賞与100万円で、年収460万円のビジネスパーソンがいたとします。  

 この人物の処遇に対して、「羨ましい」と感じるか、「哀れだ」と感じるかは、人それぞれでしょう。  

 薄給激務の中小企業で働く人から見れば、厚待遇に見えるかもしれません。  

 逆に、入社数年で年収が1,000万円を突破する外資系企業で働く人から見れば、まさに「雀の涙」と言えるかもしれません。  

 実社会に出る時点を、横並びの「スタートライン」のように解釈するのは、明らかに間違っています。これは偽りの平等感です。  

 実社会に出る時点で、大枠での勝負は、既に決しています。  

 実質的な話をすれば、ゴールドマン・サックスやマッキンゼーの新入社員と、今にも倒産しそうなブラック企業の新入社員が、ビジネスパーソンとして同格のわけがありません。  

 ただ、不思議と既視感を覚えるのは、高校に入学するときも、大学に入学するときも、受験の敗者に対して、同じようなことを言われてきたからです。  

 だからこそ、「大学に入学してからが勝負だ」という言葉は、不本意入学することになった学生への、大きな慰めになってきたのです。  

 「実社会に出てからが勝負だ」という言葉も、既に社会的敗北が確定した人たちに対して、大いなる慰めの言葉となるでしょう。  

 AさんとBさんでは、同じ新社会人なのに大きく年収が違う。こんな単純な一事に、就職以前の闘いの重要性が象徴されているのです。  

   追記. 「偽りの平等感」を与えることは、統治の鉄則とも言えるでしょう。

山田宏哉記
 
 2009.11.17
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