ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2386)

 自由への戸惑い、思考停止の快感

 男性には、若い頃、軍隊のような場所で訓練することに憧れる時期があるかもしれません。

 統制された指揮命令系統の中で、規律正しく生活するということは、そのことに疑問さえ感じなければ、脳にとって快適なことです。

 「何をするべきか」は、上が決めてくれるので、自分で考える必要がないからです。

 内心、立食パーティのような場所が苦手な人は多いと思います。僕もそうです。誰と何を喋ってもいいからこそ、気を使ったりして、その場にいるだけで結構疲れます。

 そんな時、その場を仕切る人が登場して、「次は○○をしましょう」と指示を出すようになると、手持ち無沙汰な感じが消えて、非常に楽になります。

 僕らは理念としては自由を愛してはいるけれども、日々の具体的な場面では、しばし思考停止して、「誰かに決めてもらいたい」という欲求に駆られます。

 それは、「生きる意味を教えて欲しい」といった大きなテーマから、定食屋のメニューの中から、「本日のオススメ」の定食を選ぶといったことまで、さまざまです。

 実務的な話をすれば、自分のパフォーマンスが最も上がるように立振る舞うのが賢明でしょう。

 自分が本気で勝負する分野については、権威や常識や定説を疑い、原理原則から根本的に考える習慣を身に着けるべきだと思います。そして、「次に何をするか」は自分で決めるべきです。

 しかし、自分のコアとなる競争分野以外のことでは、常識や権威に従っていた方が、余計な軋轢を生まずに済みます。

 特に合理的な理由が見つからなくても、目上の人には敬語を使い、葬式には黒ネクタイで参加するというように、慣習には従っておいた方が余計なエネルギーを使わずに済みます。

 だからこそ、自分で考える分野と、思考停止して他人に委ねる分野をどう振り分けるかということが、大切な課題となります。

   追記. 立食パーティこそ自由の象徴というのは、結構、重要なことです。

山田宏哉記
 
 2009.11.25
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