ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2391)

 【知のOS】リーズニングの盲点/『ブラック・スワン』備忘録

 『ブラック・スワン』の備忘録として、"リーズニング(理由付け)の盲点"ということを記しておきます。

 私たちは、何事にも"意味"や"理由"を欲しがります。その方が、脳に負荷をかけることなく、世界を解釈しやすいからです。

 極端な話、「生きていること」や「生まれてきたこと」にも"意味"や"理由"がないと、精神的に不安定な状態に置かれます。的外れであっても、理由があった方が安心できる。

 宗教も信者に「存在の"意味"と"理由"」を説いているといってもいいくらいです。

 そして、時にこの思考の習性が、ありのままの現実を見る眼を曇らせます。

 1億円の宝くじに当たった男がいるとする。その男は、普段からおかしな呪文を唱えている。

 ややもすると人はここで、「あの人は、奇妙な呪文を唱えているから、宝くじに当選した」などと理由付けしてしまいます。当然、これは誤りです。

 実際は、宝くじの当選者がたまたま精神障害者だっただけなのに、そこに何か"深遠な理由"があるかのように錯覚してしまう。

 あるいは、以下のようなケースもよく見られます。

 真面目なA君と要領の良いB君が勝負事をして、A君が勝ったとする。この勝負を講釈するとき、多くの人は「A君は真面目な性格だから、勝利を収めた。B君は小手先のテクニックに走ったため、敗北を喫した」などと言うでしょう。

 しかしこの勝負、仮にB君が勝っていたらどうでしょうか。「B君は手際がよいために、勝利を収めた。A君はクソ真面目で頑迷なため、敗北を喫した」などと評するでしょう。

 同じ特性であっても、結果によって正反対の評価を受けるわけです。一般に、これを後講釈と呼びます。

 歴史を見るときにも、私たちは安易な後講釈と理由付けを行います。例えばよく、「日米戦争の敗因は、兵站・補給が疎かだったことにある」と言われます。

 しかし、仮に日本が戦争に勝っていれば、「日米戦争の勝因は、戦闘そのものに集中し、兵站・補給に余計なエネルギーを使わなかったことにある」とでも言われたでしょう。

 そして、特筆すべきことは「(大抵)評者にはその自覚がない」ということです。実際は結果に合わせて理由付けしたにもかかわらず、あたかも勝負の前から、正しく勝因と敗因を見抜いていたような認識でいます。

 僕たちは、このような知的傲慢を念頭に置いておかないと、いずれ痛い目に遭うのではないでしょうか。

   追記. いずれにせよ、「渦中の人間として最適に振舞う」というのは、とても難しいことのようです。

山田宏哉記
 
 2009.11.30
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