ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2398)

 一般大衆の知的能力で世界を救えるか

 現代における主要な社会問題のひとつは、あまり頭のよくない一般大衆の発言権と影響力が増大したことです。

 そして、僕が本気で言いたいことはただ一つ。「馬鹿は黙ってろ」ということです。

 例えば、アマゾンには誤読に基づいた的外れなレビューが溢れ返っています。実際は評者の知的能力が低いだけなのに、平気で「この本はわかりにくい」などと書きます。

 自分の知的能力を客観的に観察できる人は、ただそれだけでその他大勢から頭一つ抜け出ています。

 悲しいかな、一般大衆には「自分は頭が悪い」という自覚が欠けています。

 凶悪犯罪が起きたら、冤罪でもいいから誰かを捕まえて、「ショーとしての死刑」を望むようなメンタリティです。しかもそれが「正義の執行」だと信じて疑わない。

 純粋な法律論からすれば、地下鉄サリン事件を起こした教団の教祖や、和歌山毒物カレーの被告人は、おそらく死刑には値しない。

 あるいは、一般大衆が増長した結果として生じたのが、「ウェブ炎上」という現象です。

 一般大衆が「批評にはプル型とプッシュ型がある」というメディア・パフォーマンスの基本を理解さえしていれば、こんな筋違いなことは起こりません。

 大抵、「問題発言」とされるようなエクリチュール(文字表現)は、自分のサイトで自分の固定読者に向かってなされたプル型の批評です。

 それを例えば2ちゃんねるに転載して、「問題発言だ」と騒ぐようでは、土人国家並の民度です。

 プル型の批評を、プッシュ型の批評の場に持ち出すのは、それだけで重大なマナー違反です。

 例えば、あるアーティストがファンに向かって何を言おうと、それは第三者が云々するものではありません。

 その特定の関係性の中でなされたプル型の発言を抜粋して、そのアーティストの人格をどうこう言うのは、余計なお世話を通り越して、重大な名誉毀損です。

 あーぁ、これだから毎度毎度、一般大衆には失望させられます。

 そんな集合体の意志が、"民意”となり”世論”となって、世の中を動かすというのは、やはり薄ら寒いことです。

 追記.もうこれ以上、礼儀知らずの一般大衆の増長を許していたら、世界は破滅に向かうしかないのではないでしょうか。

山田宏哉記
 
 2009.12.5
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