ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2403)

 特権剥奪される日本人

 日本人は、世界の中の特権階級でした。ただ日本人に生まれたというだけで、世界平均からすれば、とてつもなく贅沢な生活が約束されていました。

 日本人はこの既得権益を、当たり前のものだと思っています。

 発展途上国で生まれたある若者と、日本で生まれたある若者が、仮に同等の能力を持っているとしたら、本来、同等の収入と生活水準を手にするのが公平です。あるいは機会平等と呼ばれるものです。

 もっとも、多くの日本人はこのようなことを望んでいないでしょう。

 内心、「日本人でさえあれば、たとえボンクラであっても、発展途上国の秀才よりも、高収入で贅沢な暮らしをするのが当然だ」と思っている。しかし、このような主張にはあまり倫理的な正当性が認められません。

 近年、若者たちの間に、「日本人であること」にアイデンティティを見出そうとする流れがあります。

 皮肉なことに、これは日本人であることの既得権益が希薄化していることとの裏返しです。

 世界全体のフェアネスを考えるならば、インドの若者も、ブラジルの若者も、日本の若者も、同じ実務遂行能力ならば、同一賃金であるのが望ましいと言えます。実際、グローバル化によって、世界はこの方向に向かっています。

 平均的日本人の収入が年収200万円くらいになる頃には、おそらく世界は今よりも機会平等になっています。

 そして、知的能力が人類の中で上位1%に入れば、国籍に関係なく、年収2,000万円以上稼げるようになれば、世界は希望に満ちた場所になるのではないでしょうか。

 今こそ、日本人から特権を剥奪し、日本人の既得権益を打破するべきときではないでしょうか。

 日本の無能な若者たちが貧困にあえぐこと。

 それはもしかすると、世界がよりよい場所になったことの証拠であり、世界中の(平均よりも出来がいい)若者たちが喝采を送るべきことではないでしょうか。

 追記. 「既得権益の打破」を叫んでいるそこの日本人の君。自分自身が既得権益の塊であることを自覚しては如何?

山田宏哉記
 
 2009.12.11
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