ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2404)

 140文字の寸評論

 ツイッターに投稿する際、1回あたりの文字制限は140字までです。

 そして、自分の言いたいことをまとめるのに、140字以内という制限は絶妙のバランスがとれているように思います。

 ツイッターをやっている人は気付いているはずですが、頭のいい人の投稿と、頭の悪い人の投稿は、すぐに区別がつきます。情報密度が全く違うからです。

 何が核心的な情報で、何が周辺的な情報なのか、理解している人であれば、140文字に合わせた表現形式をとることができるはずです。

 今、僕がツイッターに投稿すると、ウェブサイトに掲載される仕組にしています。これが、案外、読まれている実感があります。

 当然、意識的に、情報密度の濃い書き方をしています。 かつ一定の公共性を持つようにしています。

 「寸鉄、人を刺す」という箴言があります。140字の寸評であれ、核心さえ突けば、相当の訴求力を持ちます。

 自分でも、これまでであれば短すぎて「お蔵入り」するしかなかった寸評や一行情報や備忘録の類に光を当てることができて、結構、助かっています。

 対照的に、思考が整理されずに垂れ流しになっている人は、意味不明のつぶやきや、どうでもいい私生活の投稿を連発することになります。

 僕には最初から、ツイッターを寸評・一行情報・備忘録等として使うという意識がありました。あくまで自分は「利用する側」にいます。

 正直、ツイッターで、TVの実況中継をしたり、お祭り騒ぎをしたり、「友達探し」をするような人は、相当なバカだと思っています。猫に小判というか、豚に真珠というか。

 これでは「利用される側」のど真ん中で、下層貧民まっしぐらでしょう。

 常に思うのですが、新しい情報媒体が登場した時、優秀な人の使い方と、無能な人の使い方は、最初から全く異なっています。

 最初から、デジタル・デバイドが生まれ、それが経済格差に繋がるということが、構造として横たわっています。

 ツイッターには140字という文字制限があるので、特にそれが顕著になります。投稿を通して、その人の知的能力だけでなく、経済状況も透けて見えるくらいです。

 追記. ツイッターは、流行のウェブサービスのなかでは、僕にとって久々の高評価です。

山田宏哉記
 
 2009.12.12
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ