ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2411)

 断頭台に送る人、送られる人

 三段論法というのは、実務の世界よりも、むしろ詐術の世界で効力を発揮すると言えます。

 以下の三段論法を検討してみましょう。

 1.鳥類は羽を持つ。2.ハトは鳥類である。3.故に、ハトには羽がある。

 ハトに羽があることは、見ればわかることです。ハトが鳥類であることも、注意深く観察すればわかるでしょう。「鳥類は羽を持つ」と言えるかは、さらに注意深い結論が必要です。

 結論の正しい三段論法を使うと、いかがわしい前提から注意を反らすことができます。

 1.魚は水中を泳ぐことができる。2.鯨は魚介類である。3.故に、鯨は水中を泳ぐことができる。

 この三段論法では、2が間違っていますが、鯨が水中を泳ぐことができるのは事実なので、大勢には影響がないように見えます。

 1.凶悪犯罪者には死刑が相応しい。2.林被告は凶悪犯罪者である。3.林被告は死刑である。

 こういう言い方をすると、あたかも林被告が凶悪犯罪者であることは、自明であるかのような印象を与えることができます。狙いは、結論ではなく、前提の方にこそあります。

 さて、裁判官が、メディア報道と世論で判決を決めていることは、公然の事実です。

 例えば、和歌山毒物カレー事件の被告人に対して、国民は「何となく憎たらしいから、死刑」と望んだとします。これを"暗黙の国民的合意"と呼んだりします。

 そして、裁判官にとって、メディア報道と世論に反する判決を下すことは、自らの出世に差し支えます。裁判官も人の子なので、子供の教育費が心配だし、住宅ローンの支払いもある。

 だから、「林被告は死刑」と、まず決める。

 人間は疑り深い動物です。凶悪事件の犯人が逮捕されないままだと、地域住民が不安に駆られ、暴走する可能性があります。

 それくらいならば、近所の嫌われ者や精神異常者を、犯人として逮捕して処刑してしまった方が、地域住民もホッとして、コストパフォーマンスとして安くつく。

 だから、「林被告を仮に冤罪で処刑しても構わないか」を計算する。悪人面の問題人物なので、構わない。

 こうなれば、奇怪な法律用語を並べ立てて、「極刑もやむを得ない」などと"権威付け"をします。

 実のところ、国家というのは、そこまで冷酷なシステムです。国家権力の本質は暴力にあります。権力が剥き出しになると、平気で人を踏み殺します。

 本物の権力者ならば、誰もが違法行為に手を染めなければ生存できないように社会設計した上で、気に入らない人間を違法行為を理由に粛清します。

 それが人間の歴史です。

 そして人は、いざ自分が無実の罪で断頭台に送られるまで、そのことがわからないのです。

 追記. 実際問題、時と場合によっては、被告人を冤罪で処刑しても構わないというのが、現実です。

山田宏哉記
 
 2009.12.19
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ