ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2419)

 ブラック・ユーモアとしての"就職の儀"

 就職活動を控えた大学生が、熱心に"自己分析"なぞをやって、「私のコア・コンピテンシーはコミュニケーション能力にあります」などと"自己アピール"していれば、「まぁ、ご立派なこと」という他ありません。

 そして、その成果もあって内定が得られれば、「おめでとうございます」と祝福する他ありません。そして、本人も満更ではない様子だったりする。

 メディアもこういう情景を積極的に報道したがっているように思えます。

 ここで思わず「ぷっ」と吹き出したりするのは、きっと不謹慎なことなのでしょう。

 多くの人にとって、いざ組織で働くようになって、手にすることができる収入や生活は、おそらく今の僕の水準と、それほど大差がないでしょう。

 別に卑下する気はないけれども、大学生の皆さんは、僕の生活の実態を見て、「羨ましい」と思いますかね。たぶん、あまり思わないでしょう。

 これから、自分自身が「別に羨ましくない生活」をするようになることが、それほど祝うべき事柄だとは思えない。"祝う"ではなく、"呪う"の誤植かもしれません。

 要は、実務家の視点からすると、大学生が"内定をもらって就職先を得られること"をゴールだと考えていること自体が滑稽に見えるのです。呑気だなぁ。

 社会人としての日常の在り処は、仕事のことが気になって夜眠れなかったり、ストレスで胃に穴が開きそうになったり、という部分にあるということが、リアルには想像できないのでしょう。

 日本でビジネスパーソンとして"組織で働く"という選択をするなら、内定をもらった瞬間に「やばい」と感じるくらいの感性でないと、厳しいでしょう。

 個人的な見解ですが、まずは自分が内定者の中で、上位30%(できれば10%)に入っているかどうかを、厳しく査定した方がいいでしょう。「入社してからが勝負」と考えるのは甘すぎで、下手をすると入社した時点で「既に勝負あり」です。

 自分が実力上位層にいれば、日々の生活も快適なものになりますが、実力下位層にいると、日常が不快極まりないものになります。これは社会人なら誰でも知っている公然の秘密です。

 高給取りで年下の中国人上司に指示されて、薄給激務で単純作業をこなす毎日ならば、一流企業勤務の肩書きも一瞬で色褪せるでしょう。しかし、組織で働く以上、そういうことは折込済みのはずです。

 大学生から見ると、僕の言うことはブラック・ユーモアに思えるかもしれません。

 でも、僕から見ると、"正社員"に憧れたり、就職先が決まって無邪気に喜ぶ方が、よほど悪い冗談に思えてならなりませんな。

 追記. だからこそ、知的能力が普通の人にとっては「競争から降りて、遊んで暮らす」という選択は、充分に検討に値するものだと思います。

山田宏哉記
 
 2009.12.26
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