ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2431)

 【実務家の批評】非情の生存闘争

 今更ですが、「生き延びる」ということが全ての基本です。優先度で言えば、まずは生物として生き延び、次に社会的に生き延びることです。

 ところが多くの人は、重要度と優先順位を見誤ります。  

 「職場に行くのが嫌で自殺する」とか「犯罪を働いて、社会的に抹殺される」などがその例と言えます。そして、彼らを馬鹿にできるのは、それなりに恵まれた環境にある人です。

 人間以外の動物の話をすれば、大人になるまで生存できる個体は少数派です。

 彼らに「生きる目的」はありません。なぜなら、「生存」そのものが目的だからです。

 現代人の場合、環境に恵まれて、1週間後、1ヶ月後、1年後にも生きていることが、それなりの確率で約束されています。

 加えて、戦後の日本企業においては、よほどのヘマをしなければ、社会的な生存もかなりの確率で約束されていました。

 しかし、今後はそのような保証はないと考えるべきです。油断すれば、社会的な生存だけでなく、生物としての生存も奪われることになるでしょう。

 「生き延びる。それだけではいけないのか」と問われれば、おそらく「それだけでいい」というのが答えです。

 だから体調管理には、最大限、気を使うのが正しい。

 風邪であっても、二日連続で欠席なり欠勤したら、それだけで「自分の居場所」が縮んだように感じるかも知れません。単刀直入に言って、これは気のせいではありません。

 社会的な生命も、多くの場合、体調面から失われていきます。

 「自分はホワイトカラーだから」と身体に悪い生活をしていると、大抵、足下を救われます。厳しい会社なら、数回、遅刻をしただけで解雇されるようです。

 まずは「他人に勝つこと」よりも、「生き延びる」こと。生存というのは、結構ハードルが高いことです。 

 追記.以上、休み明けに痛感したことです。

山田宏哉記
 
 2010.1.3
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