ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2435)

 過剰適応の罠

 今、中島義道 (著)『たまたま地上にぼくは生まれた』(講談社)を読んでいます。

 いやはや、思考の訓練になります。ただし、平日に読むと仕事に差し支えるので、この手の書物は休日に読んだ方がいいでしょう。

 社会人として組織で働いたりしていると、だんだん環境に適応するのが上手になっていきます。

 争いが起きそうになると丸く収めたり、相手と良好な人間関係を維持するスキルが自然と身につきます。気配りや、「空気を読む」こともできるようになります。

 僕も、宮仕えをしているときには、あまり危ないことは言いません。

 でも、何かが違うような気がする。いや、自分でもわかっている。余計なことで労力を使うのが、面倒くさいだけなのです。

 だから、徹底的には議論しない。相手の言うことに、表立って反対することはしない。人間感情の暗黒面は、なるべく見ないようにする。そして表面的には、その方が物事が円滑に進むのです。

 例えば、明らかに精神障害者と思われる人が電車に乗ってくると、周りの乗客がスーッと離れます。僕も、隣の乗客が鼻水を垂らしながら、ペットボトルを振り回していたら、距離を置きたくなります。

 それでも誰も「精神障害者は気持ち悪いから差別しても良い」などとは言いません。代わりにホームレスに対する態度と同様、あたかもそこには人が存在しないかのように扱うわけです。  

 これは、精神障害者に対して、面と向かって差別的な言動を取ることよりも問題ではないでしょうか。そして、このような精神障害者の性欲をどう処理するのかというのも問題です。

 もちろん、まっとうな社会人はこういう危ない問題提起をしません。1円にもならないどころか、下手をすると本業に支障がでます。「考えさせられますね」と言うくらいの反応に留めておくのが賢明です。

 現代日本では、本気で「このような精神障害者に対する無意識の差別感情は一切許されるべきではない」とか「精神障害者は気持ち悪いから差別されて当然だ」という論争が始まることはまずありません。

 あるいは皆さんは、"暴力団"や"右翼団体"の人材供給源が、"同和地区"や在日外国人にあることを知っているでしょうか。これは、学校の"反差別教育"や"同和教育"がすべて無効になるくらいに重要な事実です。

 ただし、迂闊に発言すると人の生命に関わるので、こういうことにも沈黙するのが賢明です。僕にも、決定的な解決策は思いつきません。

 ただ、そうやって臭いものには蓋をして生きることに、みんな納得しているのだろうか。それは過剰適応ではないのか。本来、僕たちはこういったことから目をそらさずに徹底的に対話をするべきではないのか。

 中島さんの著書を読むと、そんなことを考えさせられます。

 追記. 以上、実務的には役に立たない話でした。

山田宏哉記
 
 2010.1.9
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ