ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2439)

 【実務家の批評】着想する優位、対応する不利

 「定期的に尖ったアイディアを出すことができる」という型の人間がいます。

 僕自身、このタイプだと思います。そうでなければ、わざわざ文章を書いて公表するようなことはしません。また、そのような原稿を読みにくる人もいないでしょう。

 奇妙な言い方ですが、僕は自分の「閃き」に対して、それなりに自信を持っています。着想の"質"の部分への自負もありますが、それ以上に"量"と"頻度"と"表現力"の部分で、他人と差別化ができているようです。

 一発芸なら誰でもできる可能性があるが、安定的に着想するためには、知識の総量がものを言う。これは経験的な確信です。

 そして、平均的な日本の成人男性と僕では、知識の総量や日本語運用能力の次元が全く違います。

 なぜ、そんなことがわかるのか。他人と話をしていれば、自ずとわかります。

 必死に考えたアイディアが素晴らしいとは限りません(現実には、あまりポンポンとアイディアがでると、「ちゃんと考えていないのではないか」と疑われるので、調整も必要です)。

 遠まわしの自慢話を通して言いたいことは、短い頻度でクリーンヒットの着想ができるというのは、相当なアドバンテージになるということです。

 特に、組織の後ろ盾を持たず、自分ひとりの力で活動しようというとき、連鎖的に良質のアイディアを出せるかどうかは、死活的に重要です。

 大雑把な言い方ですが、結局、日本人は"対応"することに終始しています。「グローバル化に対応する」とか「新しい法律に対応する」とか。そして、これは「先手を取られた」のだという意識も希薄です。

 汗を流せば、状況にキャッチアップすることはできるかもしれません。しかし、その先がない。

 システム上、着想する側は優位であり、対応する側は不利だという構造があります。

 ですので、「高い頻度で、良質のアイディアを出せる」という人は、自分の能力にもっと自信を持ってもいいのではないでしょうか。

 追記. ただし、以上のようなことは、さり気なく当たり前のように発揮する能力であり、殊更「私はアイディアマンです」というアピールをしては、無用な反発を買うだけでしょう。

山田宏哉記
 
 2010.1.16
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