ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2442)

 【実務家の批評】個人プレーに徹する

 組織で働く上では、「チームプレーの重要性」が金科玉条のように言われます。

 これは間違ってはいないと思います。しかし、誤解を招きやすい表現であることもまた事実です。

 チームプレーと言うと、個人の能力や責任範囲がぼやけた印象をもたらします。そして、ややもすると「誰かが何とかしてくれる」という依存体質に陥ります。

 むしろ"個人プレーに徹する"という意識でいた方が、結果として本人にとっても組織にとっても、幸せな場合が多いように思います。

 "個人プレーに徹する"ということをより厳密に言えば、「チーム・組織に貢献するために、個人プレーに徹する」ということです。

 チームプレーと言えども、結局は、個人プレーの集積のことです。個人レベルのパフォーマンスが悪くて、チーム全体の成果が上がるということはほとんど考えられません。

 性格資質として「協調性を持っている」というのも曲者です。これが大切ということも間違ってはいません。

 ただし、大抵の人は、協調性を持っています。より正確に言うと、「協調するしか選択肢がない」。希少なのは、周囲との軋轢を生んででも、自分の意志を貫くことができる人です。

 「協調性を持って、チームプレーをする人」というのは、概念的には組織人の理想のように言われます。

 しかし現実には、「わがままを押し通し、個人プレーに徹する人」に太刀打ちできない。要は覚悟の問題です。

 難題が立ちはだかったとき、「自分がやるしかない」と立ち向かうのと、「チームプレーで何とかしよう(誰かにやってもらおう)」とお茶を濁すのでは、成長の度合いが異なって当然です。

 結局のところ、個人が「協調性を持って、チームプレーをしよう」などという意識で仕事をすることには疑問符がつきます。

 サッカーにせよ、野球にせよ、選手個人は「自分がいかにレギュラーになるか。試合で活躍するか」しか考えていないでしょう。極端な話、「自分が試合に出られないのなら、試合に勝とうが負けようが関係ない」と本音では思っている。

 たぶん、これでいいのです。

 さらに言うなら、この場合、協調性というのは監督目線からの結果評価です。

 予め協調性があるから試合で活躍できるのではなく、試合で活躍できれば「協調性がある」という評価がついてくるのです。

 追記.以上のような事項を読み間違えると、結構、痛い目にあるのではないでしょうか。

山田宏哉記
 
 2010.1.19
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