ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2443)

 「真面目に生きる」とはどういうことか

 一般に子供を持つ親は、"教育問題"に関心があると言われます。確かに「自分の子供をどう教育するか」ということには関心があるでしょう。しかし、両者は別物です。

 あるいは今、就職難や失業率、非正規雇用といった"雇用問題"が存在するという言い方もなされます。これは、本当かね。

 そして、政府が雇用対策を打ち出したら、"雇用問題"が解決するのでしょうか。これは、何の冗談でしょうか。

 結局、大切なことは「自分がどう働くか(働かないか)」という一点です。

 マクロの社会状況がどうあろうと、関係ありません。

 社会問題に関心がいく人は、あまり真面目に生きていない。真剣に自分の人生に向き合っていない。

 本来、切迫して何かひとつの打ち込んでいるならば、社会問題とか、最近のニュースとかに関心が向かないものです。僕も10代の頃はそんな世間知らずでした。

 今では、新聞や雑誌の記事に眼を通します。巷で社会問題と呼ばれているものに対しても、それなりに関心を払っています。

 それは僕が、あまり真面目ではなくなったからです。変に分別がついて、狂ったようにひとつのことに打ち込むということをしなくなったからです。"堕落"と呼ぶのが相応しい。

 ですので、僕は新社会人には必ずしも日経新聞を読むことをお勧めしません。それよりも、少しでも自分に与えられた仕事を吸収することに専念するべきです。

 例えば、プロのアスリートを目指しているのであれば、寸暇を惜しんでトレーニングをするでしょう。

 プロのミュージシャンを目指しているのであれば、寝食を忘れて楽器の練習をするでしょう。

 おそらく「真面目に生きる」とは、そういうことです。

 常時ニュースをチェックし、「日本の将来は暗い」とか「日本人はもっと愛国心を持つべきだ」とか、そんなどうでもいいことを言っている自分に、疑問と嫌悪感が湧かないものだろうか。

 追記. 社会問題に対して関心を持つのは、"義務"や"見識"ではなく、"趣味"や"娯楽"だと考えるべきでしょう。

山田宏哉記
 
 2010.1.22
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