ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2445)

 "世代意識"を持っているか

 今、城繁幸(著)『7割は課長にさえなれません』を読んでいます。

 組織の人事をめぐる問題は本筋として重要です。ただし、それとは別に個人的に"世代意識"というものが気になったので記しておきます。

 僕から見ると、城さんは非常に強く"(負の)世代意識"というものを持っているように見受けられます。

 "我らロスジェネ(就職氷河期)世代"あるいは"我々、若者"というものです。対になる概念としては、"彼ら、既得権益世代"というものでしょうか。

 さて、僕自身は"世代意識"というものをほとんど持っていません。僕の書いたものからも、「私は"○○世代"として、これだけは言っておきたい」みたいなニュアンスは、ほとんど感じられないと思います。

 常に感じるのですが、「私は"バブル世代"ですから…」とか「彼らは、"ゆとり教育世代"ですから…」といった物言いから、生産的なものが得られる可能性は、ほとんどないように思います。

 要は、個人の問題です。例えば、統計上の就職内定率が70%だったとしてら、何だと言うのか。

 就職に関して言えば、氷河期であろうと、ポテンシャルの高い人は優良企業に就職できたわけです。売り手市場のときも、社会人としての適正に欠ける人は、就職先の確保に苦労するはずです。


 世代というものがビビッドに問題になるのは、要するに"可もなく不可もない普通の人"にとってです。

 少なくとも僕は、「我々、若者は…」という物言いをしない。どちらかと言うと、「彼ら、若者は…」と突き放して見ています。世代などというものにコミットして、自分を語る趣味はありません。

 城さんに対して言うわけではないけれども、自らを"就職氷河期の被害者"と規定して、若者同士で"連帯"あるいは"連携"することに、何か可能性があるのだろうか。

 それよりは、仕事の腕を上げて、より高い報酬を手にすることに集中した方がいいのではないか。

 世代間に不平等があることは理屈としてはわかりますが、社会問題として施術するにはあまりに時間がかかります。

 個人としてとるべき戦略は、まずは自分の収入と生活を充分に確保することでしょう。

 そしてその際、世代や年代で自分の行動特性を規定するような発想は、何のプラスにもならないことは、覚えておいて損はないでしょう。

 追記. 「"世代"がどうあれ、"私"には関係ない」。そう言い切るだけの潔さが欲しい。

山田宏哉記
 
 2010.1.24
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