ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2451)

 期待を裏切る勇気

 誰かに期待されたとき、その期待を裏切るというのは相当に難しいことです。

 僕のように、ドライな性格であることを自認していても、「期待しているよ」と言われると、つい「無理してでも頑張らなければ…」となってしまいがちです。

 ここで期待に応えなければ、人間として大切な何かを失うことになる気がしてしまう。

 悪魔的な使い方をするならば、無茶な要求をした上で「君には期待しているよ」と声をかけ、それを達成できなかったら「君には失望した」と言う。これだけで、言われた方は相当の精神的なダメージを受けることになる。

 普通の神経の持ち主なら、そんなときに「それはあなたが勝手に期待して、失望しただけです。私には関係ありません」などと言うことはできません。

 日本社会の常識は、そんな発言を許さないでしょう。

 その意味で、誰かに「期待をかける」というのは、「呪いをかける」というのと、ほとんど同義ではないかと思います。 東京オリンピック銅メダリストの円谷幸吉選手を自殺に追い込んだのも"国民の期待"です。

 ただ時として、"期待を裏切る勇気"を持つことは極めて重要なことだと思います。

 できないことに対しては、ハッキリと「できない」と言う。無茶な期待に対しては、「ご希望には添えかねます」と言う。

 そう、期待を裏切るを勇気を持とう。単に期待されて喜ぶのは、子羊が従順さを褒められて喜ぶようなものです。

 人としての道を踏み外さなければ、時に失望されたっていいじゃないか。期待に押しつぶされてしまうよりは、ずっとマシなはずだ。

 追記.とはいえ「他人に期待しない、他人から期待されない」人生というのも、一抹の寂しさが残るものですね。

山田宏哉記
 
 2010.2.6
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