ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2472)

 メディア・スタンビートの殺人性

 NHKのクローズアップ現代「終わらぬイラク〜高遠菜穂子さんの6年」(3/3放送)を視聴しました。2004年に起きたイラク人質事件のその後の顛末をまとめた番組です。

 振り返れば、極めて不愉快な事件でした。"自己責任"という言葉がよく使われるようになったのも、この事件の後からだったと思います。

 このとき、人質となった高遠さんやその家族に対して、多くの日本人が"非国民扱い"をして、公然とバッシングを行いました。そして、どのような理由があれ「それはやってはいけないことだった」というのが僕の判断です。

 まず、政治思想如何によって、日本人を"国民"と"非国民"に分けるという発想そのものが、厳しく批判されてしかるべきです。これは、全体主義の考え方です。

 そして何より、「集団で束になって、特定の個人をバッシングする」ということが孕む殺人性を問題にするべきです。

 クローズアップ現代の報道によると、やはりと言うべきか、高遠さんは自殺の危機にありました。

 仮に高遠さんが自殺していたら、彼女をバッシングしていた人々はどう感じるでしょうか。歓喜のあまり、万歳三唱でもするのかな。

 これは断言してもいいことですが、普通の人なら、例えば2ちゃんねるで100人から実名で叩かれたら、精神がおかしくなったり、本気で自殺を考えるようになるでしょう。

 人間の精神力というのは、それくらいに弱くて繊細なのです。しかし、その普通の人は「もし自分がされたら、自殺するであろうこと」を平然と行います。

 有名人といえども、それほど耐性が強いわけでもありません。最近では中川昭一氏が"酩酊会見バッシング"で文字通り殺されました。

 僕は人として、「集団が束になって、特定の個人を攻撃する」という状況を、許し難いと思います。理由は問いません。たとえ道義的には個人の側に非があろうとも、個人の側につきたいと思う。

 これは倫理と美学の問題です。

追記.このようなウェブの暗黒面をどうするかということも、深刻に考える必要があるでしょう。

山田宏哉記
 
 2010.3.4
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