ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2473)

 内田樹氏と入試現代文

 内田樹氏がご自身のブログで興味深いことを書いていたので引用します。

 <話を戻すけれど、私の若い読者たちの実に多くが「最初にウチダの本を読んだのは、模試の問題においてであった」とカミングアウトしてくれている。(中略)

 「予備校の教室など言及されても一文にもならぬ」と考えるのはシロートで、大教室の予備校生たちの中に一人くらい「なんか面白そうだな。この人の本、帰りに本屋で探してみようかな」というような展開になるというのはあながち荒誕な夢想とは言い切れぬのである。>(「グーグルの存在する世界にて」2010/03/05
http://blog.tatsuru.com/2010/03/05_1307.php)


 さて、告白すると、僕が内田樹氏の著書を読むようになったキッカケも、果たして入試現代文でした。

 と言っても、受験時代のことではありません。僕は、大学入学以降も教養のために入試現代文を読んでいて、その中で「内田樹氏の思考や表現はおもしろいなぁ」と感じて、著書を読むようになりました。

 同様に、入試現代文を通して注目するようになった著者としては、岩井克人氏や中沢新一氏などが思い浮かびます。

 また、僕は今でも東大入試の現代文等を毎年読んでいますが、ほとんど知的に外れの文章はないように思います。そういう著者との出会い方もあるのです。

 引用文中にて内田氏が記していることは実に的を射ていて、僕自身がそうでした。

 受験現代文であっても、問題文の著者に注目して、「なんか面白そうだな。この人の本、帰りに本屋で探してみようかな」と感じる型の受験生は、成績優秀層の中に一定程度の比率で存在します。

 特に、内田氏や岩井克人氏に関しては、入試現代文という存在が若い読者を獲得するための強力な宣伝媒体になっていると言っていいと思います。そして今のところ、このことはほとんど注目されていません。

 これを理解していない書き手は、「私が書いた文章が問題になっているのに、正解がわからなかった」みたいな皮肉を言い触らします。「バカだなぁ」と思います。

 「書き手は自分が言いたいことを把握していない」という批評の常識を持ち出すまでもなく、単純に広告機会を逸することになるからです。

 入試問題の制作者からすれば、「私の文章なのに問題が解けなかった」みたいな面倒なことを公言する筆者の文章など、避けた方が無難であるに決まっています。

 内田氏も触れていますが、入試問題に自身の文章が採録されることに関して、"著作権問題"とか言い出す著者に至っては、「何をか況んや」です。

 入試現代文の存在など、大学以降はすっかり忘れてしまう場合が多いですが、意外と日本人の教養水準を支えるプラットフォームの役割を果たしているように思います。

追記.社会人も熟読する価値がある入試現代文の参考書としては、高田瑞穂 (著)『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫) が決定的にお勧めです。

山田宏哉記
 
 2010.3.4
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