ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (2477)
老人国家・日本の奈落
病院に入院していると、あたかもここが日本社会の縮図であるかのように感じます。
入院患者は、当然のように老人が中心で、あまり若い人を見かけることはありません。そして、昼夜を問わず、うめき声や咳き込む声、身体の不調を訴える声が聞こえてきます。
いちいち気にしていたら、夜もおちおちと眠ることができません。
若い人と言えば、看護師と医者くらいなものです。病院という場所は、少ない若者が問題の多い老人たちを支えている典型的な空間です。
そして、比較的体調のよい老人であっても、TVを見るくらいしかすることがありません。本人にとっても、そのような"充実感の低い生活"を送ることは不本意だと思います。
日本社会においては、会社員が定年を迎えると、「特にすることがなくなる」というのが、深刻な問題として存在します。
聞くところによると、定年を迎え「家でブラブラするようになった夫が鬱陶しい」という理由での熟年離婚も増えているようです。
さらに深刻な問題は、1日中TVを見て過ごすだけの"TV老人"を、「個人の人生観の問題」と片付けることができない点です。
日本では、選挙によって代議士が選ばれています。選挙に勝つためには、"老人層"に向かって訴求する政策を打ち出す必要があります。
従って、日本政治が「福祉バラマキ」型に傾倒することはもはや避けられません。結局、政治家は"老人層"に向かって、「みなさんが死ぬまでは消費税は上げません」などと言わざるを得ません。
日本の政治的な意志決定は、実質的に"TV老人"によって行われています。
反面、経済成長の要である企業やビジネスパーソンに対しては、どうしても冷遇的なスタンスになります。
"TV老人"は、残りの人生があまり長くないので、目先のことしか考えません。経済成長ができなければ、当のご老人に分配される資源も少なくなるのですが、それが理解できないようです。
企業にとっても、ビジネスパーソンにとっても、感傷的な理由を除けば、「日本社会にとどまる理由」はどんどん薄れています。諸般の事情が許せば、オーストラリアあたりで暮らすのが、幸福度が高いのではないでしょうか。
僕自身、投資の対象として、日本市場はあまりに魅力を欠いていると判断せざるを得ません。
そして今の日本にとって本当に必要なことは、このような"老人支配の打破"なのですが、現時点ではまだ、怖くて誰も言えないようです。
追記.同室にマナーの悪い"TV老人"がいたおかげで、僕の中で"老人批判"への心理的ハードルが下がりました。その意味では感謝です。
山田宏哉記
2010.3.6 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ