ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2481)

 "現代人の死に場所"としての病院

 突如として、同室からあるご老人がいなくなりました。

 食事の度に、嘔吐を繰り返していた人です(サラッと書いていますが、これは大変なことです)。深夜にも、体調不良でよく看護師を呼び出していました。

 気付くと、そのご老人がベッドごとどこかに運び出されたようです。そして今のところ、戻ってくる気配はありません。この症状で、退院ということはあり得ません。

 手術室や、集中治療室のような場所にいるのか。それとも、残念ながら亡くなったのか。

 いずれにせよ、そのご老人に何かクリティカルな(致命的な)出来事が起こったことは確かです。それ以上のことは、僕には知る由もありません。

 定期的に家族がお見舞いに来ていた方でした。きっとこんな時は、ご家族の方も覚悟をしなければならないのかもしれません。

 ふと思うのは、病院というのは実質的に"現代人の死に場所"だということです。

 つい昨日まで、同室で咳き込んだり、呻き声を上げていたご老人が、(TVの電源をつけたまま)「朝になったら、息絶えていた」ということになっても、さほど不思議ではありません。

 そう考えると、そんな彼らを"TV老人"などと揶揄するのは、とても不謹慎なことです。

 僕自身、入院したときは医者から致死率が30%くらいと言われていました。改めて今から死んだらジョークですけれども、骨折とかを除いたら、病院に入院するのは、案外、そういう立場の人なのかもしれません。

 でも正直僕自身は、「こんな場所で死にたくはないな」と強く思います。

追記.生死観を鍛える意味においては、入院するときは大部屋を選択した方がいいかもしれません。

山田宏哉記
 
 2010.3.8
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