ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2484)

 破滅へのスタンド・アローン・コンプレックス

 池田信夫氏が若松孝二監督『実録・連合赤軍』に触れて、東大時代の思い出話をしていたので引用します。

<殺された友人のうち2人は誤爆だったが、2人は革マルの活動家だった。彼らの共通点は、地方の高校から出てきて、大学に友人がいなかったことだ(灘や開成の連中は、この種の党派には入らない)。

2人とも党派にリクルートされ、「地下」に潜って大学へ出てこなくなった。たまに出てくると黒田寛一や梯明秀などを口まねした呪文のような話をするようになり、他の党派を「殲滅」することが最大の闘いだと主張した。そのくせ自分が殲滅されることは警戒しておらず、2人とも生協の前で演説しているところを白昼、襲われて殺された。(中略)

こうした「日本的」な中間集団の性格は、今も変わらない。都市化して個人がバラバラになると、人々は自分の所属すべき集団を求めて集まる。それが学生運動が流行したころは極左の党派であり、その後は原理であり、またオウムだったというだけだ。>
(池田信夫blog 2009年04月03日 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301239.html)


 まず、「彼らの共通点は、地方の高校から出てきて、大学に友人がいなかったこと」というのは、極めて重要な指摘です。今の今でも、大学の"新入生歓迎"に紛れて、キワモノの新興宗教や政治団体が勧誘をかけますが、狙いはこの層でしょう。

 僕は早稲田大学に通っていましたが、この大学は、友人を作り損ねたり、一定のコミュニケーション能力がないと、大学生活が結構、厳しいものになるかもしれません。

 特に新入生の頃は、「大学に行っても、1日中、誰とも喋らない」ことがよくありました。読者の想像通り、僕は性格的に、そういうことがほとんど苦にならないのですが、ここで"寂しさ"や"孤立感"を感じると、キワモノ団体の格好の餌となります。

 特に、地方から出てきて、東京でひとり暮らしをしていると、「何かのネットワークにつながりたい」という欲求は、強まる一方かもしれません。かつてのウェブのなかった世界では尚更です。

 このような焦燥的な接続欲求を強いて名付けるなら、僕は『攻殻』のサブタイトルから借用して、"スタンド・アローン・コンプレックス"としたいところです。

 修士論文にも書きましたが、大衆が熱狂的に政治運動に身を投じる条件として、旧来の共同体的なつながりが切断されて、生身の個人として世界や社会と向き合うようになったという点があります。

 ただ、「ひとりの個人として、この世界と対峙することができない」故に群れようとする精神的な弱さについては、僕には身体的に共感できません。

 これは、おそらく僕の側に何か大切な人間感情の欠落があるのでしょう。

 そして僕も大人になって、擦れてきて「別に寂しくないけど、寂しいフリをする」方が処世上、軋轢が少ないことを理解するようになりました。

追記.ちなみに僕は、映画『実録・連合赤軍』を傑作と評価しています。

山田宏哉記
 
 2010.3.11
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