ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2485)

 世間体を気にすることの不利益

 聞くところによると、最近の若者には、「友達がいない」のは構わないけれど、「友達がいないと思われる」のには耐えられないという傾向があるそうです。

 そんな人たちに向かって、「世間体を気にするな」と言っても、あまりに無責任で、ほとんど訴求するものがないでしょう。

 それでも、あえて記しておきたいのは、やはり僕たちは「世間体を気にすることによる不利益」をなるべく正確に把握しておくことが必要だということです。

 例えば、大学入試である大学の法学部と文学部に合格したとする。学問的な興味は、文学の方にある。

 しかし、社会経験を積んだ大人ならば、おそらく法学部を勧めるでしょう。

 曰く「法学部なら国家公務員や法曹を目指す上でも、民間企業に就職する上でもつぶしがきく。対して、文学部出身では、就職で不利になることはあっても、有利になることは決してない」と。

 そして、このような意見は、概して正しい。では、世間体を気にして、法学部を選択するのか。

 就職に際しては、もっと鋭くこれが問われます。是非は別として、世間体がいい職業、世間体がいい勤務先企業というのは、確かに存在します。

 しかし、それが本人にとっての幸福につながるかどうかは、全くの別問題です。

 本当は、イルカのトレーナーとか大工さんになりたいとする。でも、それは"一流大学卒"に相応しい職種とは言えない。両親も反対している。

 それより、"就職人気企業"の上位にランクされた企業に就職する方が、ずっと世間体がいいでしょう。その方がきっと両親も喜ぶ。

 そして常に思うのは、人生の岐路で、自分の中の納得感よりも、世間体を優先した選択を行うということは、決定的にその人の人生から輝きを奪う、ということです。その時点でもう、後悔を誰かのせいにする準備をしている。

 もちろん、僕もまた、世間体から自由なわけではありません。自分の納得感を大切にしようとすると、どうしても軋轢は生まれます。

 ただ今にしてみれば、それを含めて現実と闘うからこそ、個人としてこの世界と対峙する資格を得られるのだと思います。

追記.以上、"空気"に過剰適応する"羊の群衆"へのメッセージでした。

山田宏哉記
 
 2010.3.11
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