ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2489)

 知の"独り勝ち"をめぐる競争

 CNNが「Twitter「読むだけ」が大半、積極活用は2割のみ 米調査」という報道をしています。

 自分もユーザーでありながら、こんなことを書くのも何ですが、果たしてツイッターに「渋谷なう」とか「今、食事中」と投稿して楽しいのだろうか。

 いや、これは何もツイッターに限ったことではなく、日本語のウェブ全体に対して抱く根本的な疑問です。

 思うに、公共性や情報価値を持たない言葉を撒き散らすのは、ただの自己顕示欲の発露です。

 誰でも「他者から認められたい」とか「承認されたい」という欲求を持っているでしょう。それは人間の本能に近いもので、僕も例外ではありません。

 ただ、本気でそう思うのならば、なるべく我が騒ぐのを抑えて、あくまで「相手(他者)にとって、有益な情報」の提供に徹するのが筋道ではないでしょうか。

 例えば、「今日のランチに牛丼を食べた」ということは、公表する価値がある情報だろうか。おそらく、その判断基準は「その牛丼の値段や味や作り方に、通常とは違う"サムシング・ニュー"の要素が含まれているか」にあります。

 具体的には、牛丼の値段がビックリする程高いとか、味が恐ろしく悪いとか、作り方が奇抜だとか、そういう受け手の興味を惹きそうな要素です。

 基本的に"情報の目新しさ"に欠ける話は、退屈なものです。そして、日本的な義理や世間のしがらみが、この事実を見えにくくしています。

 しかし、家族や友人や部下といった身内が"(つまらないけど)仕方なく聞いている"ような話が、不特定多数の公衆にも通用すると感じる時点で、何か根本的な勘違いをしています。

 その点、ウェブは正直なものです。アクセス数や滞在時間で、ある程度、客観的に「自分がアウトプットしている情報は、どれだけ他者にとって価値があるか」を把握することができます。

 そして、人々に与えられた時間が有限である以上、情報発信をする者同士の間でも競争が起こり、より有益な情報を提供するウェブサイトにアクセスが集中するのも、ごく自然なことです。

 おそらく、ほとんどの人は、ブログを開設しても、公衆の安定的なアクセスを得ることが困難でしょう。それは、情報提供のおいても、読者の獲得競争が存在するからです。

 従って、ウェブの世界においても、提供できる情報の優劣によって、大量アクセスを獲得するウェブサイトと零細ウェブサイトに分離していきます。

 もちろん、自己顕示欲から公表する価値のない情報を書くのは自由ですが、それで「アクセス数が増えない」とか「真面目に読んでもらえない」と愚痴をこぼすのは筋違いでしょう。

追記.そして、義理や内輪ネタに縛られると、公衆への訴求力が落ちるのですが、あまり自覚していない人が多いようです。

山田宏哉記
 
 2010.3.13
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ