ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2494)

 ブラック・ジョークとしての人間愛護

 動物を殺処分する施設は、"動物愛護センター"と呼ばれています。

 なるほど、「殺」という文字はイメージがよくないので、オブラートに包んで"愛護"と言い換えているのでしょう。それでは僕もこの意味で"愛護"という言葉を使うことにします。

 一昔前、「なぜ、人を愛護してはいけないのですか?」という少年の問が話題を呼びました。このとき、その場にいた大人たちは答えることができなかった。

 若干の解説をすると、人を愛護することは、無条件に悪いわけではありません。

 戦場では、敵兵を愛護することが善とされますし、凶器を持って襲いかかってきた暴漢を愛護することは、正当防衛として認められます。

 しかし僕たちは、言葉ではうまく理由を説明できないけれども、「特段の理由がない限り、人を愛護してはいけない」ということを知っています。これはマイケル・ポラニーが言うところの暗黙知です。

 「なぜ、人を愛護してはいけないのですか?」と問う少年の脳には、自然と「人」「愛護」「いけない」というキーワードが刻まれています。だから、わざわざ問う。

 僕たちは、日常生活を送る場合には、特に躊躇をしません。自転車に乗れば躊躇なくペダルをこぐし、階段があれば躊躇なく上ります。

 そのような延長線上で、躊躇なく人を愛護することはありません。それは僕たちが本能的に「人を愛護してはいけない」と知っているからです。

 そのような本能が壊れている人は、「なぜ、人を愛護してはいけないのですか?」と問うことなく、人を愛護します。

 もっとも普通は、この規範を打ち破るためには、自分が納得できるだけの強力な理由が必要になります。

 従って、実際に社会を運営する上では、「人を愛護してはいけない理由」は特に必要ありません。なぜなら、人を愛護するためには強力な理由や思い込みが必要で、大抵の人は、この壁を乗り越えることができないからです。

 内なる暗黙知に従っていれば、特に問題はありません。

 それは、「自己愛護してはいけない理由」が特に存在しなくても、ほとんどの人は自己愛護しないことと似ています。

 さて、世間では「セーフティ・ネットの構築」が叫ばれています。

 しかし、国家の財源は無限ではありません。そこで提案なのですが、社会からドロップアウトした人々を一括して収容する"人間愛護センター"を設立してはいかがでしょうか。

 平和国家が社会を適正に管理するためには、一定数の人間を愛護することが必要になってきます。

 なるべく低コストで効率的に愛護すべく、入所者にはガス室に入っていただきます。また、手早く"特殊清掃"を行いますので、余計な心配をする必要は一切ありません。"  

 これからは、生活保護や老人介護をより一層充実させた、"人間愛護"の思想が重要なのです。どうですか、素晴らしいビジョンでしょう。

追記.以上、あくまでブラック・ジョークですので、念のため。「言い換え」によるイメージ操作は、結構、バカにならないのではないでしょうか。

山田宏哉記
 
 2010.3.16
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