ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2496)

 "絵になる映像"の訴求と錯覚

 NHKの「平成若者仕事図鑑」を視聴していると、最近の若者は、高卒で就職して、汗水を垂らして働く職業に就くのが一般的なのだと感じさせられます。

 最近の若者は、職人や料理人のように技術を磨き、"手に職をつける"という意識が強いようです。また、彼らが手掛ける製品は、建築物や乗り物や工芸品のように、"実際に眼に見える"ものが大半です。

 反面、最近の若者は、抽象的なデータやソフトウェアや情報には、ほとんど魅力を感じていないように見えます。

 一日中、机やPCに向かって作業する若者というのはほとんど存在せず、どうやら都市伝説に過ぎないようです。

 もちろん、以上のような分析は、映像表現が持つ偏向に基づいたものです。映像は、どうしても作品として「絵になる素材」を求めます。

 単純な話、汗水垂らして働く人の姿は、空調の効いたオフィスでデスクワークをする人よりも、絵になります。従って、勤労系のドキュメンタリーで取り上げられる職業も、自然と肉体労働者に偏ってきます。

 このような映像表現の特性や各種統計を考慮に入れないで、印象論で物事を語ると「最近の若者は、ほとんどが高卒で肉体労働をしている」という誤った認識を持つことになります。

 映像が「絵になる素材」を求めるのは、宿命のようなものです。近年の具体例では、"派遣村"がまさにそうです。

 客観的に言えば、「日比谷公園に浮浪者が何百人か集まった」ということよりも重要なアジェンダは山ほどありましたが、映像表現にとって、それがあまりに「絵になる光景」であったために、圧倒的な訴求力を持ってしまいました。

 そもそも、"絵になる映像"による印象操作というのは、ほとんど洗脳と同じで、極めて危険なものです。

 例えば、日米同盟の是非を論じる報道番組で、米軍の黒人兵が沖縄の少女を陵辱する映像を流すのと、中国や北朝鮮がミサイルを配備する映像を流すのでは、視聴者が受ける印象は全く変わってきます。

 また、本当に重要な事柄は、大抵、"絵にならない"ものだという問題もあります。

 そして僕は、平均的な日本人が「"絵になる映像"による印象操作」に対する情報リテラシーを持っているとは考えていません。

 人間もまた、論理ではなく、感情で動く動物であり、"絵になる映像"の訴求力に対抗できるだけの言葉を持ってはいないのです。  

追記.従って僕としては、映像業者のモラルに期待するしかないようです。

山田宏哉記
 
 2010.3.16
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