ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2498)

 "最新コンテンツ"をフォローする意味

 新刊、新譜、新作映画…。コンテンツの世界では、常に"最新作"がリリースされています。

 例えば書店に行けば、大抵、売れ行きのよい新刊本が平積みにされていて、あたかも「あなたが読む本は、新刊本の中から選ぶべきだ」と主張しているようです。

 音楽や映画にしても事情は同じで、脚光を浴びているのは、常に"最新作"のコンテンツです。

 これらの背景には当然、供給側が最新作の販売促進をかけているという事情があります。

 問題は、ユーザー側からすれば「最新作をフォローすることにどんな意味があるのか」ということです。

 もちろん、ナチュラル・サイエンスや技術の分野では、最新情報の方が精度が高くなるので、フォローする意味は大きい。しかし、芸術分野ではそのような進歩の仕方はしません。

 結論から言うと、その意味は薄いでしょう。「同時代の空気を感じることができる」くらいでしょう(ただし、これはそれなりの価値を持ち、これを最優先に考える人も少なからずいます)。

 単純な話、新作映画の中には、20世紀の名画よりも観る価値がある作品はあまりないだろうし、新刊小説にしても評価の定まった文学作品よりも読む価値のあるものは少ないでしょう。

 特に芸術分野においては、「最新作が史上最高傑作」ということはほとんどありません。

 音楽を聴くのであれば、おそらく新譜をフォローするよりも、過去のアーカイブスの中から、名曲とされるものを選択的に聴いた方が、豊かな音楽ライフが送れるでしょう。

 ただし、同時代を生きていて、個別に敬意を払っている表現者をフォローする場合には、話は別です。

 例えば、「その人の書いた文章ならば、すべて読む」と決めている人が新刊を出すとしたら、当然、その新刊本は"未読"となるわけですから、フォローする価値は充分にあります。

 ただしそのような特段の理由がない限り、漫然と"最新コンテンツ一般"をフォローするのは、単に供給側の思惑に乗っているだけで、その意味は薄いでしょう。  

追記."最新コンテンツ"に関しては、供給側の採算や広告や流通の問題もあるので、これらはまた別の機会に考えます。

山田宏哉記
 
 2010.3.19
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