ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2501)

 村上春樹『スプートニクの恋人』を読む

 村上春樹の中編小説『スプートニクの恋人』(講談社)を読みました。

 他人を納得させるだけの理由はないけれども、村上春樹編集長の『少年カフカ』を途中まで読んでいたら、不意に未読の『スプートニクの恋人』を読むべきだと感じました。

 そういう直感は、なるべく大切にするようにしています。

 そして、その予感は、間違ってはいませんでした。

 感想として、うまく言葉にしてまとめることができません。

 とはいえ、作品としての手応えはあったし、切実さは伝わってきたし、個人的に色々と去来するものがありました。純粋な言語表現としても楽しめました。

 村上春樹の小説を読んでいると、確かに"物語によってしか語り得ないもの"があると感じさせられます。安易な解釈を許さないような存在感があります。

 僕たちが現代社会で生きている以上、競争によって勝敗をつけたり、合理的に割り切ったりする場面がどうしても出てきます。

 また、他人と関わるというのも大変なことで、真面目に正面から向き合おうと思ったら、傷だらけになるのは避けられません。

 ひとりの人間と正対するのは、人間一般のことを知るよりも、比較にならないくらいに難しいことです。

 そんな中で、割り切れないもの、はみ出してしまったもの、うまく言葉にできないものたちは、居場所をなくして追い詰められていきます。既に失われてしまっているかもしれない。

 常に感じるのは、村上さんの物語は、そういう"人間のどうしようもなさ(あるいは主観的な必然性)"みたいなを丁寧に掬い取っているということです。

 ただ、こうやって言葉にすると、微妙な質感が削ぎ落とされてしまうので、「何か違うんだよなぁ」と感じます。

 僕にしても、「上手く感想を言えない」というのは、それだけ内面の深いところに訴求するものがあったということなのでしょう。

追記.細部のことですが、「象徴と記号の違い」に関する記述はおもしろかった。

山田宏哉記
 
 2010.3.20
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