ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2501)

 もし世界にピアニストは20人しか必要でなかったなら

 村上春樹の『スプートニクの恋人』に、「世界には現役のトップピアニストが20人いればいい」という趣旨の発言がありました。物語の筋とは別に、問題提起としても非常に重要なので、考えてみることにします。

 この発言の趣旨を理解することは、難しくありません。ピアノの世界であれば、人々の賞賛を浴びて、記憶されるようなピアニストは、同時代に世界で20人もいれば充分だ、というわけです。

 20人というのは多少は前後する数字でしょう。また、楽団のメンバーなどとして、ピアノ演奏で生活の糧を得ているピアニストということであれば、該当者の数はもっと増えるでしょう。

 さらにピアノ演奏ではなく、ピアノ教室を開いたり、学校で音楽の教師をしたりすることまで含めれば、ピアノで報酬を得る仕事をしている人は、たくさんいると言えるでしょう。

 それでもなお、ピアノを弾く人の中でごく一握りです。

 では、大半の人にとって、ピアノを弾くということは、「意味がない」と言えるでしょうか。

 「意味がない」とまでは言わなくても、ピアノに使う時間と労力を、もっと自分が活躍できる余地がある分野につぎ込むべきではないでしょうか。

 おそらく、答えはたぶんシンプルで、ピアノを弾くことに純粋な楽しさを感じるのであれば、それだけで充分に意味のあることだし、そういう時間はかけがえのないものであろう、ということです。

 確かに、もし世界のトップに立てないのであれば、少なくともそれで飯を食っていけるのでなければ、「やらない方がマシ」と考えた方が、合理的であるように思われます。

 ただ僕がひとつ言えることは、人間はそのように割り切れる存在ではないし、自分の技量が上がったならば、それは他人の評価とはなく、喜びとして受け止めればいいと思います。

 これは決して、「惨めな敗者の末路」ではないでしょう。また、そのような決めつけは若さ故の傲慢と言えるでしょう。

 僕たちは、望んだものすべてを手にすることはできないどころか、あらゆる犠牲を払ってひとつのことに打ち込んでも、それでナンバー1の座が得られるという保証はない。

 優勝者以外はみな価値がなく、その優勝者も次の世代の者に打ち倒されていくならば、僕たちはみんな敗者です。それでも、この世界と折り合いをつけて、納得感を持って生きていくことはできるはずです。

 もし、世界にピアニストは20人しか必要でないとしても、それは僕たちがピアノを弾くことを妨げるものではありません。

追記.以上、『スプートニクの恋人』の本筋とは必ずしも関係がありません。

山田宏哉記
 
 2010.3.20
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