ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2507)

 "トラブルの予防"を再評価する

 ストーカーに付きまとわれた女性が、警察に相談しても相手につてもらえず、結局、殺されてしまう、という事件があります。

   そんなとき、決まって言われるのは「警察は事件になるまで動いてくれない」ということです。ただし、僕はこの批判はあまり公平ではないと思います。

 「早急に手を打つことで、事件を予防した」というのでは、警官個人にとっては大した手柄になりません。

 凶悪事件の犯人を逮捕してこそ、周囲から賞賛を浴びることができるのです。警官も人間です。これでは、凶悪事件を未然に防ぐためのインセンティブが働きません。

 「トラブルを予防した結果、何も起こらなかった」という成果を評価することは難しい。

 警官以外の職業でも同じことです。僕たちは大抵、火の用心を徹底する消防士よりも、火災現場で必死の救出活動をする消防士を高く評価します。

 これでは消防士は火災を願ったり、最悪自分で放火する誘惑に駆られてしまう。

 医者にしても、各人が未然に病気を予防するよりも、強力な伝染病が流行した方が、より活躍の場が与えられます。

 企業にしても、システム障害を起こさないソフトウェアを作ることより、システム障害に対応することの方が評価の対象になりやすい。これは成果主義の盲点でもあります。

 容易に気付くでしょうが、このように"トラブルの予防"を軽視すると、社会全体としてはコストが非常に高くつきます。

 仮にアメリカの警察官たちが、2001年の同時多発テロの直前にタイムスリップして、事前にテロリストたちの身柄を拘束することができたら、彼らは英雄になれるでしょうか。

 答えは、ノーです。せいぜい、「警察によるアラブ人差別の横暴」などと批判されるのがオチでしょう。

 あるいは今でこそ、「アメリカ政府は、リーマン・ブラザーズを救済するべきだった」と言われます。しかし当時、仮に救済していたら「俺たちの血税で金融機関を救うのは許せない」という批判が巻き起こったでしょう。

 トラブルの予防者は、常に不遇で報われない。それでも、誰かがやらなければ破滅的な結果を招きます。

 こうして考えると世界は、誰にも褒められることのない"トラブルの予防"によって、何とか成り立っているのかもしれません。

 そんな無数の人々の善意に思いを馳せれば、この世界もまだまだ捨てたものではないでしょう。

追記. そして今こそ、"トラブルの予防"を再評価するべきときでしょう。

山田宏哉記
 
 2010.3.26
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ