ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2508)

 "親近感の演出"が過剰な時代

 複数の人が発信する情報が、同じフォーマット、同じ字数制限で並ぶと、情報密度の濃い人と薄い人が一目瞭然になります。具体例を言えば、ツイッターがこれにあたります。

 これは結構、怖いことです。なぜなら、元来、情報商売をやっている人にとって、「情報密度が薄い」というのは死活問題になるはずだからです。

 少なくとも僕は、知的なイメージがある人や機関のツイートの情報密度が薄いと、結構、敬意が薄らぎます。

 ただし、情報密度を薄めることによるメリットも存在するので、このことを一方的に批判するのは公平ではないでしょう。それは"親近感"の演出です。どうやら、情報密度と親近感はゆるやかなトレード・オフの関係にありそうです。

 一般庶民に訴求するためには、何といっても「親近感を演出する」ことが重要です。視聴者、読者、消費者がなるべく感情移入をできるようにする。

 男女差別的な言い方はしたくありませんが、特に女性に訴求する場合には、なるべく感情を揺さぶるような物言いをすることが効果的です。男性の場合、割と感情を差し挟まずに、情報処理をすることができます。

 メディアや有名人はこのことを明確に理解しています。なぜ、民放のTV番組の情報密度が薄いかと言えば、ズバリ「親近感を演出するため」です。

 最近では、一般庶民のあいだでもこれを模倣して、親近感を演出するようになってきています。

 特に、ブログやツイッターにおいて、"親近感の演出"が過剰になってきています。顔文字の多用や幼児語の使用、どうでもいいような私的な書き込みなど、細部を指摘すれば切がありません。

 あるいは、「愛想よくしているのだから、内容がなくても許してね」みたいな予防線を張っているのか。  

 しかし、"親近感の演出"によって失われるものも確実に存在します。「喋らない方がいい歌手がいる」と言えば、ピンと来る人が多いでしょう。例えば、中島みゆきには、あまりペラペラと喋っていただきたくない。

 だからこそ、ひたすら「情報密度を高める」ことに専念すれば、他人と差別化することができるとも言えます。頑固なラーメン屋のオヤジと同じように、ちょっとくらい愛想が悪い方が作品の質は高まるように思います。

 当方はひたすら情報密度を濃くすることを第一方針と致します。 僕の読者も「あぅあぅあぅ、ランチのカレーが最高。超オススメ!」みたいな投稿を読みたいわけではないでしょう。

 また、愛想が悪いことは「言い訳は許されない」という環境に身を置くストイックな姿勢でもあります。無愛想で、作品の質が悪かったら、それこそ最悪だからです。

 何も「文句は言わせねえぜ、この野郎。わかったか!」みたいな喧嘩腰にまでなる必要はないと思いますけれどもね。

追記.以上、ツイッターへの投稿を元ネタにして文章としてまとめてみました。

山田宏哉記
 
 2010.3.27
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ