ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2513)

 【実務家の批評】理解力のある人、表現力のない人

 社会人として歩み始めた当初は、「自分に理解力や表現力がない」ということが悩みになりがちです。

 やることなすことが初めてのことばかりなので、当然といえば当然です。

 別に殊更「新人は謙虚であることが大切」などと強調したいわけではありません。

 ところが社会人生活に慣れてくると、今度はだんだん「理解力や表現力のない相手がいる」ことがストレスの種になってきがちです。

 ちょっと前まで、仕事が遅くて周りに迷惑ばかりかけて恐縮していた人が、今度は後輩の仕事の遅さにイライラするようになったりします。

 「わからないことは質問しろ」と指示を出しても、何を理解していないのかがわからない。

 自分がどこまで理解していて、どこから理解していないのか、その境界線を見極めるのは、案外ハードルが高い。

 もちろん、それを批判したいわけでもありません。人間は、そういうものです。

 さて、誰かと言葉が通じないとき、肝になるのは、表現力と理解力です。これを「相性があう、あわない」とか「好き、嫌い」の問題に還元するのは、なるべく避けるべきだと僕は考えます。

 A君の言葉が理解できないとき、相手の表現力に問題があるのか、自分の理解力に問題があるのか、またはその両方なのか、ということは重要です。

 逆に、自分の言葉をA君が理解しないとき、相手の理解力に問題があるのか、自分の表現力に問題があるのか、という問いかけも同じです。

 この判断を誤ると、お互いにとって不幸です。

 そういう場合、A君の他にC君・D君をまぜて観察し、パズルのように突合わせて、答えを解くのが正攻法でしょう。

 あなたの言うことをC君・D君が理解できたら、A君の理解力に問題があると言っていい。そうでなければ、あなたの表現力に問題がある。

 あるいは、A君の言うことをC君・D君が理解できるなら、あなたの理解力に問題があることになります。そうでなければ、A君の表現力に問題がある。

 もっとも大抵、理解力が高い人は表現力も高く、理解力が低い人は表現力も低いので、意志疎通不全の原因がどこにあるかは、割と簡単にわかるでしょう。

 仕事上のコミュニケーション能力とは、要するに理解力と表現力のことだと言って差し支えありません。 

追記.こういう問題を、「飲み会」で解決しようとするのは、むしろ有害だと僕は思います。

山田宏哉記
 
 2010.3.29
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ