ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2514)

 とまどいの救世主兄弟

 NHKスペシャル「人体“製造” 〜再生医療の衝撃」(3/28)を視聴しました。

 ドキュメンタリー番組の使命が、社会への問題的にあるとするなら、充分にその役割は果たしたと思います。人類必見の衝撃的な内容でした。よくぞこれを放送した。

 ある意味、ありがたい時代になったと思う。例えば、事故で指先を切断した場合であっても、細胞外マトリックスを利用すれば、切断面から指が再生したりする。

 以前なら、不幸にして指を切り落としてしまったら、氷や牛乳につけて病院に駆け込めなどと言われたものです。

 手術痕や外傷を目立たなくする医療技術も劇的に進んでいます。さらに欲を勧めれば、美容整形にも応用できます。

 そんな中、特に考えさせられるのが、"救世主兄弟"の存在です。

 病気の子供Aちゃんがいるとします。Aちゃんには造血幹細胞の移植が必要ですが、拒否反応を起こさない遺伝子の型の人は数万人に1人くらいの割合でしかいない。

 そんなとき、どうするか。血縁者ならば、遺伝子の型が一致する確率が高い。そこで両親がさらに別の子供を体外受精させ、その中から目当ての遺伝子の型を持つ受精卵を選び、母親に妊娠させます。

 そうして出産されたB君は、1歳くらいになったとき、Aちゃんに造血幹細胞を移植します。Aちゃんは元気になり、めでたしめでたし、というわけです。

 このとき、B君はAちゃんを救うために生まれてきたので、"救世主兄弟"と呼ばれます。これがブラック・ジョークのように聞こえるのは、偶然ではありません。

 B君の立場で考えると、結構、理不尽です。何しろ自分が生まれてきた意味が、「Aちゃんの治療のため、身体の一部を提供するため」だとハッキリ見えてしまいます。すなわちB君の存在は、ややもすると"治療のための手段"になってしまいます。

 もし僕たちがクローン人間を作るとしたら、原本である僕たちを、コピーである彼らよりも一段上に置くでしょう。

 役割分担をするなら、自分が仕事をしている間に、クローン人間に遊んでもらいたい、とは考えないはずです。

 救世主兄弟のケースで言えば、Aちゃんは原本の人間、B君はコピーされた人間であると言えるでしょう。生命に優劣をつける気はなくとも、どうしてもそうなります。

 さらに皮肉なのは、日本人が「倫理的に許していいのか、いけないのか」という議論をする以前に、既に米英では実用化段階あるということです。

追記.そしていずれ、救世主兄弟は差別され、救世主という言葉は、放送禁止用語になっていくのです。

山田宏哉記
 
 2010.3.29
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