ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2524)

 "校長先生の話"は、話半分で聞き流すのが正解

   遙か彼方の思い出話から始めます。

 確か小学生の頃、朝の全体朝礼では、確か"校長先生の話"があったと記憶しています。誰も真面目に聞かないので、担任の先生から「朝の朝礼で、校長先生が言ったことを書け」という課題がでたことがあります。

 でも、今にして思います。

 小中学校の頃、朝礼で"校長先生の話"を一字一句、真面目に聞いていた子供は、きっと今頃、冴えない大人になっているでしょう。

 小中学生にとって大切なのは、あくまで"担任の先生"であって、校長先生は、自分とほとんど関係ないので、興味の対象外です。僕は、校長先生の話どころか、校長先生の名前や顔も覚えていません。

 "校長先生の話"の話の中身は、だいたい想像がつきます。当たり障りのない季節の話題に始まり、夢や希望を持つことの大切さに触れたり、スマイルズあたりを引用して「青春とは心の若さです!」みたいなことを言うのです。

 間違っても、教頭先生が不倫をしていることを暴露したり、時の政権与党を批判したりすることはありません。それは立場上、言えないことです。

 その種のスピーチには、大抵、定型文があって、ちょこちょこと固有名詞を入れ替えれば、文句を言われない程度の挨拶にはなります。そして、校長先生は、あたかも再生機のように、原稿を読み上げるです。

 その種の定型文を、「真に受ける」のはコミュニケーション能力の低い人の特徴です。形式面でも、内容面でも、重要な差異を見逃しているからです。

 形式的には、予め仕込まれた言葉とその場で生成された言葉の違い。内容的には、"建前"と"本音"違い。後者の方が情報価値が高いのは、言うまでもありません。

 大抵の場合、校長先生の話は「予め仕込まれた"建前"」です。ですので、「話半分で聞き流す」のが正解です。担任の先生は「校長先生の話は真面目に聞きましょう」と注意喚起しますが、もちろんそれも建前です。

 今のところ、本音と建て前を判断したり、冗談で笑ったりするのは、コンピュータにはできません。この辺りは、嗅覚や身体感覚に属する部分です。

 そして、コミュニケーション能力を判断するひとつの試金石となっています。

 その意味で、"校長先生の話"は、話半分で聞き流すのが正解です。もちろん、校長先生の話は一つの具体例であって、総理大臣や大企業の社長の公式メッセージであっても、同じことです。

追記.ちなみに、日本人は伝統的に"偉い人"の話を、話半分でしか聞かないようです。

山田宏哉記
 
 2010.4.6
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