ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2530)

 自己本位に徹する読書戦略

   これまで僕は、「読みたい時に、読みたい本を読む」ことを基本としてきました。大抵は、気分に合わせて同時並行で複数の本を読んでいます。

 「論文を書くために参考文献に眼を通す」というような状況を別とすれば、普段は「読みたい時に、読みたい本を読む」というのが最も知識の吸収効率がよいと僕は考えています。

 理論的な経済書を読んでいて飽きてきたら、固有名詞の多いノンフィクションに切り替えるなどしています。読書計画のようなものは立てていません。

 逆に効率が悪いのは、"義務感"で読む本です。巷で「現代人必読の書」と言われるようなものは、無視するわけにもいきませんが、あまりピンと来ないことが多い。

 僕は実務家です。従って、本を読むことそのものは仕事ではありません。読書で得られた知見が仕事で役に立つことは多々ありますが、それはあくまで結果です。

 また、実務の世界では、アウトプットで評価が決まります。当たり前ですが、「1ヶ月で100冊の本を読んだ」(学生時代は、大体これくらいのペースでした)ということ自体は、何の自慢にもなりません。

 例えば、1ヶ月に100冊読んだなら、それに相応しいだけのアウトプットを出して初めて、評価の対象になります。この辺りは、研究者や評論家の世界でも、大して違いはないでしょう。

 思うに、読書は"自分の抱えている課題解決のために役に立つ(だろう)"という動機や期待を基本とするのが得策です。

 読書そのものを目的とするのでない限り、読書はやはり広い意味でのアウトプット(現実世界の問題解決)に射程を置くべきでしょう。

 (ただし、経験的に言って「書くために読む」という手法は、自由な発想を疎外する場合が多いです)

 これは必ずしも"自分の職業に直結した専門書を読むべきだ"というわけではありません。

 大切なのは「この本を読みたい」と感じる直感と嗅覚です。そして、即効性のある実用書よりも、遅効性の古典の方が、実は役に立つということも多々あります。 

 逆に最悪なのが、興味のない本を「現代人必読の書だから」みたいな義務感で読むことです。

 もはや、見栄で読書をする時代ではありません。「○○という書物を読んでいなければ、この問題を論じる資格がない」みたいな権威主義は話半分で受け流すべきです。

 確かに、巷には「必読書」と呼ばれる書物がたくさんあります。しかし、たとえ学者であっても、それらすべてを読むことは実質的には不可能でしょう。「あの本もまだ読んでいない、この本もまだ読んでいない」というのでは、ストレスは溜まる一方です。

 (ただし、個人的に注目する著者や書物の巻末に示された参考文献一覧には、割と注意深く眼を通します。その中に"次に読むべき本"が含まれているケースは、少なくありません)

 同じ本を読むにしても、どれだけ"切実さ"や"切迫感"あるいは"問題意識"を持って読むかによって、得られるものの質と量が全く違ってきます。

 読みたい時に、読みたい本を、自分のペースで読む。これで、いいじゃないか。読書はあくまで、自己本位に徹するのを基本とするべきでしょう。

追記. 以上、有楽町線の電車の中で書きました。電車の中は割と執筆に集中できる空間です。

山田宏哉記
 
 2010.4.11
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